『トブルクの魔女』全文掲載

WoT20161231cvr01_promoidea2 copy50水無月十三さんの絵を古川ヘッツァーさんが彩色した『トブルクの魔女』のイメージイラストです。

少しでも多くの方々に小生の『トブルクの魔女』を楽しんでいただければと思い、小説本編をpixivに公開しました。

飽くまでも小説本編だけですので付随する挿絵や地図は同人誌版をご参照ください。

また、同人誌版ではたくさんの方々が寄稿されていますので、是非ともご購入をご検討ください!

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誰のための表現の自由か

[この文章は2018年11月にツィッターで連続投稿したを内容を補足・編集・改訂したものです]

表現への許容の度合いは様々でについてあなたを取り巻く基準は世界共通ではない。同じ国の中の中でも様々な基準がある。法令で規定されている範囲は飽くまでも法令の基準だが、なるべく明確に・なるべく公平に・なるべく表現の自由と個人の尊厳が守られるように設計するのが理想だ。運用とは別の理念である。

表現の自由を守る理由は色々ある。政府の腐敗や暴走を止める為、文化・芸術・科学の発展を阻害しない為、報復を恐れない議論を可能にし、表現の平等性を保全し発言者の人権を損なわない為。守る理念は人気に擦り寄る為ではなく、万人にとって常に居心地のよい景観作りをするためではないと私は考える。

個人が安心に感じられる環境作りは重要だが、特定個人の主観的安心感を他人の感性を上回るまでに優先させるのは危険極まりない。「社会的、道徳的、公序良俗の違反である」としてこれまでどれだけ色々な個人の尊厳が蔑ろにされてきたことか。その例はあまりに広範囲であり、恐ろしく多い。

私は社会や個人を尊重する公共性の構築と表現の自由の共存は可能であると考える。歴史的な町並みに建てられる物件は外装保守的でも、内装はいくらでもはっちゃけてもよいだろう。これを情報共有の場において可能とするのがゾーニングであり、メディア・リテラシーだ。

気に入らない内容に直面したとき、我々は表紙を閉じる・チャンネルを変える・視線を逸らすことができるのだから。

よく「子供がみたらどうなんだ」や「フィクションでも心が傷つく人がいる」という主張を論拠にした発言がある。一見、これは弱者や被害者への配慮を重要視すべき、という誠実で慈しみに溢れる素晴らしい意見に聞こえるが、冷静に分析すれば論理的に破綻しておりパンドラの箱をあけるのに相当することを気付かされる。

残念ながらこの世は子供にとって危険な世界であり、自由意志を取り払った個人の行動を完全に管理する社会と技術がないと是正できない。

我々の命の源である太陽も数秒直視するだけで視力を奪う。なくてはならない水もタライに張ることで溺死を誘発できる。樹木も登れば高さによっては落下による怪我か死に至る危険極まりない構造物だ。

しかしだれも太陽を無くせ、水を制限しろ、樹木を全て伐採せよとは言わない。言うべきでもない。

危険な世界の中をうまく立ち回る知恵と知識、分別と成熟性を備わるまで我々は子供を適切に見守り、成熟した人間に育てるしかないのである。

成熟した人々同士のやり取りを前提とした社会生活を、分別つかぬ子供にあわせて全て組み変えるべきとはわたしは思わない。三輪車に乗る子供と大型トラックが同じ道を走るような交通法規の構築やインフラの整備は無茶な話である。

「フィクションでも心が傷つく人がいる」ついては申し訳ないが、アレルギー持ちの人間として言わせて貰うと「私のアレルギーを論拠に他人の食事を違法化すべきか」につきる。私は特定の食べ物の食べると命の危険があるが、だからと言ってそれを他人に押し付けない。摂取するモノを気をつけるしかない。

わたしにとってアレルゲンであるものも他人にとってはおいしい食事であり、趣味趣向なのだ。

アレルゲンが市場を媒介して流通するのに不満があるかもしれないが、市場は万人それぞれの需要・嗜好を満足させるために存在するものである。スーパーにアレルゲンがあってもスーパーを潰せとは誰も言わない。

確かに創作物には細かいアレルゲン表記はないかもしれない。成人向けゾーニングや多種多様なジャンルが介在する日本こそ人々の多様性に準じた多種多様な趣味趣向を満足させられる豊かな市場といえるのではないだろうか。

また創作物は概念上の存在であり、読解力がないとその情報の伝達は設立しない。受け手側がその存在を認識しなくても摂取すれば発作症状を起こすアレルゲンとは程遠い存在だ。逆を言えばどのような人畜無害な創作物に対しても嫌悪感を起こす方々はいるかもしれない。手の影を見て蜘蛛が見える人もいるのだ。

しかしそれでは全ての人間に合わせてそれぞれ別個の情報開示が必要となる。これでは基準作りが成立しない。結局は「摂取するモノを気をつけるしかない」としか言いようのないである。

もしろん、それらに対して不満を露にすることは制限すべきではない。しかし自らが不快感を感じるのを理由に他人もその不快感を共有するのは当然であるというのは行過ぎた配慮の強要だ。

あなたの基準とあなたを取り巻く基準は世界共通ではないし、歴史的にも一定ではない。人は変わる、社会は変わる。表現規制の大義名分は崇高かもしれないし、恐ろしく下らないかもしれない。規制や基準が裸の王様であると指摘するとあなたを叩く人が出てくるかもしれない。そこまで予想できるであろう。

しかし規制や基準に対して異議を唱える際に応援する人も確実にいる。表現者の場合はそれは読者であり、視聴者であるかもしれない。だが中には規制を求める相手が憎いという理由が先走って、過激な発言や行動を繰り出す人も出てくる危険性を意識しないといけない。相手が過激だから自分も!は不毛だ。

あなたはたくさんの方々に支えられて生きている。しかしあなたの理念や思考はあなただけのものだけ。他人を意識するのは大事だが、自己の確立を放棄しないで欲しい。規制を巡る論拠は絶対的正義とか世界共通の倫理とかに関連することはむしろ珍しく、往々として自分の居場所作りに終始することが多い。

表現規制や表現の基準は自己決定権や個人の権利、尊厳に直結するが、それがあなたの全てではない。だれもが安心して安全な自由な表現の市場は絶え間ない支援と連携の上で成立っている。それを意識し、出来る範囲でその環境整備に貢献しよう。でもその努力に自分を見失ったら意味がないから気をつけて。

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萌え絵の違法性

日本においてアニメ的な配色と大きな瞳や可愛らしいとされる記号の組み合わせで構成された、いわゆる「萌え絵」が社会的に広まったのは21世紀に入ってからでしょうか。それ以前からもマンガやアニメは広く市民権を得ていましたが、アニメ・マンガ文化のサブカルチャーともいえるかもしれない美少女・BL系分派がサザエさんやドラえもんなどの作品群と肩を並べる世界に近づいたといえるのかもしれません。

さて日本国内から「日本の萌え絵は性的な要素が強く、直接エロ描写がなくても海外では児童ポルノとして捉えれるからよろしくない」や「萌え絵があまりにも広く社会的に浸透している。海外から嫌悪感どころか場合によっては違法なコンテンツなのだから身の丈をわきまえてもっと大人しくあるべきだ」という主張が2018年にちょくちょく見かけられるようになった気がします。

キズナアイをはじめとするVtuber(バーチャルYouTuber)が社会現象として話題になりはじめてからこの話題は加速しているように思えて仕方ありません。

しかしながら日本のアニメ・マンガにおいて大きな地位を占める「萌え系」が海外では社会的に不謹慎とされる主張や表現の自由の保護に入らないという主張には同意できません。制限速度を超える速度をだせる車の話を持ち出して「車は違法」というような主張に思えます。そもそも海外での規制基準は非常に多種多様なので一括りで論じることは事実誤認や歪曲へとつながりやすいと思います。

まず欧米の基準を持ち出す時には「欧米」の概念を考える必要があります。

アメリカは表現の自由を最大限保証する国として有名で、アメリカでは許容されてもカナダやドイツでは違法とされるような表現物が多々あります。

欧米諸国はは民主主義・市民生活の保全・個人の権利の保護という理念で共通点が多いと言えるでしょう。しかし、具体的にどのようにその理念を守るかについてはさまざまな取り組みを模索し続けています。国によっては驚くほど寛容ですぐ隣の国では極めてきびしかったりします。

つまり「欧米の基準」「先進国の基準」を持ち出すことは曖昧極まりないと思います。

このような欧米各国の異なる取り組み方を意識するのに加え、長い歴史的観点と多様な視点を垣間見れる鳥瞰図が大事である私は考えています。さらにはどの国にも複数の異なる基準が並列し、共存していることを忘れていけません。

さて、ここでアメリカの基準に焦点に当てたいと思います。世界で非常に影響力のある米国の表現規制や視点ですが、次の四つに大別できると思います:

(1)連邦法や州法の条文基準と判例
(2)FBやTwitter等ユーザーコンテンツ共有プラットフォーム利用利用規定の基準
(3)特定のコミュニティで受け入れられた基準
(4)個人・団体が提唱する基準

―これら全部別々です

■(1)連邦法や州法の条文基準と判例

まず(1)ですが、米国は日本と猥褻の取り扱いが大きく異なります。日本では赤裸々な性描写において陰茎と女性器に対して程度の修正を加えれば、題材やその描写の傾向など、作品の内容についてはほぼ一斉に不問とされ、当局から追求されません。これは日本国刑法175条にそのように定義されてからではなくて、猥褻図画に該当嫌疑としての当局の運用基準です。不平不満が多い基準とは思いますが、ある程度までわかりやすいのは否めません。

ときどき書き換えられるのが本当に困りますが。

しかしながら、当局が問題視して警告・逮捕・立件したとしても裁判所で結審されなければ猥褻とは認定されません。日本は米国に比べると警察と検察当局による立件基準はかなり保守的で、法廷で当局の立件が無罪と結審となるケースは少ないです。(ただ、ここ近年増えている印象はあります。)

一方、米国では猥褻は陪審員の結審によって認定されます。日本のように判事ではなく地方に根ざした陪審員が自らの価値観に導かれて違法性を考えます。市民の基準が地方地方によって大きくことなるのが特徴的です。このため、AVの撮影がロスに集中しているなどの現象が発生します。

確かに米国は想像上の未成年の性描写の違法化を1990年代から模索しています。

しかし2002年に米国最高裁はヴァーチャル児童ポルノを違法化を試みた1996年のChild Pornography Prevention Act(児童ポルノ防止法)に対して違憲と言う判断を下しました。しかも9人いる判事が6対3という割合で違憲と認定した事は当時随分話題になりました。この時に最高裁は色々な観点から実在する未成年者を含まない児童ポルノを全面禁止するのは過剰であると指摘しています。

・同法律は表現の自由が保障されている猥褻ではない表現も違法化している。
・児童虐待を伴う実在児童ポルノは児童の保護と福祉を踏まえ、表現の自由が守るべき範囲には含まれない。だが、児童虐待を伴わない偶像児童ポルノに同じような「表現の自由を上回る公共の福祉性を優先する必要」は当てはまらない。
・偶像児童ポルノと実在児童を巻き込む性的虐待犯罪行為の間に明確で直接的因果関係が認められない。
・実在児童ポルノが違法である最大の理由はその内容ではなく、その製造過程にある。
・犯罪に使われるかもしれないという可能性だけで、それ自体が無害であるモノ・合法的に制作されたモノを違法化するのは過剰である。
・違法行為を促がしかねないという理由だけで表現を規制することは過剰である。市民の私的思考を望ましい方向に向けるために法規制するのは不当である。
・偶像児童ポルノが実在児童ポルノの制作を促がすという論拠は脆弱であり、実際には取扱に非常に厳しい処罰規定が伴う実在児童ポルノを偶像児童ポルノが市場から駆逐する可能性がある。

この2002年の最高裁の判決に不満を持つ人は数多く居ました。半年もしないうちに新たな法律が連邦議会で可決されて、2003年にブッシュ大統領の署名をもってProsecutorial Remedies and Other Tools to end the Exploitation of Children Today Act(「今日をもって児童の搾取を終焉させる為の検察的解決策とその他法」)と言う法律が設立されます。

この法律は法の名前の頭文字をとって2003年のPROTECT法として知られています。この法律では最高裁の先の違憲を判決を踏まえていくつか定義を調整しています。まず擬似チャイルドポルノの定義を狭め、本物の未成年ポルノ画像と「見分けがつかない」(“indistinguishable”)コンピューター画像を禁止としています。これによって明らかに実在の児童の写真にしか見えない画像であっても、児童の身元が判明しないなどの理由から児童を特定できない場合でもその所持者や配給者を追及できるようにしました。

2003年のPROTECT法のもう一つの大きな変更点は実は米国刑法の猥褻条項に関連しています。猥褻を取り扱う刑法の条項は18章1461、1462、1464、1465、1466項などに集中していますが、PROTECTでは1466Aという条項を追加しています。この条項に於いて「連邦政府の管轄が及ぶ範囲に於いて、実在する・しないに限らず猥褻な描写を含む児童が題材となっている作品」を一律違法化しています。

つまり「猥褻ならば表現の自由が当てはまらないので、偶像児童ポルノも違法化できる」ということです。

この条項は非常に興味深い側面があり、猥褻法の条項でありながら、その処罰規定は児童ポルノ法に準ずるとなっています。つまり猥褻表現で性犯罪者と同一の扱いを受けるということです。児童を毒牙に掛けるような行為の産物に関わる人間を激しく罰するのは当たり前ですが、PROTECTのお陰で実在の児童と一切関わらない人間にも等しく厳しい量刑を適用される規定が用意されたわけです。更に猥褻は配給・展示・販売は違法ですが、所持は合法です。私的範囲に於いて製造も合法です。ところが1466Aの規定する猥褻偶像児童ポルノの条項においては所持も違法としています。

それでは米国での「猥褻」とはなんでしょう?

1973年の最高裁のミラー判例が現在の米国の猥褻の基準となっています。現在アメリカで特定の表現が猥褻と認定されるのは次の三つの条件が判断基準の焦点となります。

A)一般市民の視点からして、在住する地域の基準を踏まえ、特定の表現の全体が「好色な興味に訴える」表現と認められる。
B)一般市民の視点からして、在住する地域の基準を踏まえ、特定の表現に於いて非常に不快な形で性行為などを描写している。
C)一般市民の視点からして、在住する地域の基準を踏まえ、特定の表現がその全体に於いて文学的・芸術的・政治的・科学的価値が一切欠如している。

この三つの条項を満たしていると法廷の場において認められたモノのみが米国では猥褻と認定され、表現の自由が及ばないものとされています。

「在住する地域の基準を踏まえ」という条項は非常に重要です。地域の独自性と文化の違いを認定している条項であり、上下をつけていません。この為に米国では複数の猥褻の基準があるといっても過言ではありません–非常にリベラルなロスやサンフランシスコ、ニューヨーク・シカゴ・シアトルに置ける基準とユタ州の片田舎やオクラホマ州の辺境の基準は非常に異なります。全米のアダルトビデオの多くはロスアンゼルスで制作され、成人向け出版物がニューヨークなどの都市に集中しているのは理由があるのです。ロスで作ったものをユタ州や違うところで作った場合、その地域の猥褻基準に引っ掛かる可能性があります。事実、テキサスでは同性愛を違法化する「ソドミー法」がごく最近(2003年)まで法文としては有効となっていました。(実際には最近は滅多に運用される事がなく、有名無実となっていましたが、2003年の最高裁判決をもってようやく違憲と認定されて、無効になりました。)それまでに米国の猥褻基準はばらつきがあります。

「児童ポルノ問題」に限らず、米国と日本の間では文化的背景や法律運用事情が大きく異なる側面があります。それを鑑みず米国の法律基準を安易に取り沙汰することは危険極まりないと思います。

■(2)FBやTwitter等ユーザーコンテンツ共有プラットフォーム利用利用規定の基準

「合衆国」であるアメリカは法律や判例でもバラツキがアメリカですが、(2)のネットコンテンツプラットフォームは法律の他にも収益が依存してるユーザーや広告主の視点を強く意識します。万人向けのプラットフォームを目指す会社は場合によっては合法である同性愛者がキスしているすら規制します。

八方美人的な会社は極端に物議を避ける一方、その物議を呼び水にして忠誠心の強いユーザー層を確立するサービスもあります。一般的な企業からの広告収入は犠牲にしても、それを確実な運営資金の礎となるような購読料を支払うユーザー層に依存するわけです。

日本で見聞きしている分にはフェイスブックやアップル、グーグル、アマゾンなどの巨大な企業の存在感があたかも全米のコンテンツ倫理基準を全て取り決めているように思えるかもしれません。これは明らかに誤りです。

米国ではそれこそ無数のネットサービスが色々な主義主張の元で運営されています。これらの抽象のネットプラットフォーム企業のユーザー数は大手に比べるとそれほど大きくないかもしれませんが、企業のコンテンツ規制基準の多様性を大きく押し広げています。

■(3)特定のコミュニティで受け入れられた基準

さて(3)ですが、地方コミュニティの倫理基準がネットと同じくらい自由で多様であるか尋ねられれば「場所と状況によりけり」としか言いようありません。まずいえることは市民参加による自治意識は日本よりも旺盛です。この為、住民の保守的宗教観が町並みの生活様式を強く影響することもあります。

しかし中絶や同性愛者の受け入れなどを巡る議論で垣間見れますが、アメリカにおいて住民の価値基準にかなりバラツキがあります。公共の領域において何処まで性的に赤裸々な表現を容認するか、異国のコンテンツが受け入れられているかは地域によって大きく異なります。

ディズニーランドで水着だけの格好で歩き回っていれば注意されることがあっても、海辺やプールであれば文句言う人が減るでしょう。同じように米国の地域によって「公共倫理基準」は日本以上にバラバラです。保守的なコミュニティ共通基準もあれば合法の範囲、ギリギリまで迫る許容されることがあります。

■(4)個人・団体が提唱する基準

最後に(4)の個人・団体が提唱する定義ですが、(2)の同じように千差万別であることは言うまでもないでしょう。(3)の地方で効力を発揮する特定コミュニティ基準とは通常、議決などで制定されます。これに対して個人・団体が提唱する定義や主張は、それそのものに強制権がありません。

もちろん個人・団体の訴えによって規定や法律は変わることがありますが、それは制定のプロセスを経た確立します。主義・主張を唱えることは市民意識を揺り動かし、大きな潮流を生むことがあれば、逆に反発を招き失速することもあります。感情に導かれた基準がその曖昧さから自壊する例が多いです。

個人・団体が提唱する基準は尊重されるべきですが、受け入れるかどうかはまったく別の話です。主義・主張の平等性の原則は民主主義の礎であり、この原則は人が確固とした倫理観を構築するの必要不可欠であると思います。

■検証:萌え絵は違法か?

これらを踏まえて日本の萌え絵に対する萌え絵の基準を考えてみましょう。

日本の萌え絵柄はよほど赤裸々な性的表現でもないかぎり、法的は確実に米国の表現の自由の範囲内に留まります。未成年者が裸体を晒している・性行為に耽っている描写が猥褻の範囲に踏み込めば、絵柄に関係なしに係争の対象となりかねません。絵柄の問題ではないです。

企業や個人によっては「幼い女児の顔、虚ろな瞳、不自然に乳のはみ出した肉体に小さな服」を忌避・問題視するかもしれません。それもまた個人の選択の自由に範疇であり、咎められるべきではありません。しかしこの基準を他人に強制できるかとなると表現の自由や個人権利を守る上では否です。

企業や個人が運営するプラットフォームにおいて特定の表現を排除することは合憲です。独占に近い状態となっている場合はその効力や社会的な影響力について議論の余地は大いにありますが、原則としては他人が用意した媒体で発表できないのであれば、発表できる媒体へ移れば良い、ということになります。

■総論

わたしは年少であった1970年代から日米のアニメ・マンガ・ゲームの違いや猥褻の基準、「不謹慎とはなにか」という議論を見守ってきました。より深く勉強したのは大学時代からでしたが、肌身で色々な基準があることを感じてきました。今なお、日本でもアメリカでも、同じ国内や同じコミュニティの中でも尊ばれている基準は一つではなく、色々なふり幅や異論がたくさんあるのを実感しています。

わたしにもネットが発達したおかげで色々な概念の定義や定説が明確化し、より議論が捗るのではないかと思っていた時がありました。

学術の世界では色々な学派がありますが、論拠とする定義や基準については確認しあってから探求や議論します。インターネットのおかげでたくさんの情報へのアクセスが可能となり、色々な論理を検証しやすくなったはずです。

しかし逆に定義や基準が乱立し、これらが整理されないまま感情をむき出しにした議論が増えている印象があります。これまで今で可視化されなかった主義・主張が顕著化し、それぞれのクラスタ(集い)から飛び出して交通整理されず飛び交うようになったのです。情報や娯楽コンテンツの電子化によって今まで視野に入らなかった主張や表現へと簡単にアクセスできるようになり、昔に比べると信じられないほど全てがさらけ出される時代へと変わりつつあります。

情報共有が容易になり広く浸透した今、様々な情報・作品の発表がフラット化しました。しかしこれすなわち、全ての情報・作品が万人のために発表されている訳ではありません。現実社会と同じように多種多様なコミュティが想像の領域において展開し、ネットなどを媒介して共有されます。

中には気に入らないものもあるかもしれません。他人が嫌悪することを予見できる表現もあるでしょう。それらについて注意啓蒙することは大事ですが、違法性をちらつかせて言論封殺や検閲を呼びかけることは建設的ではないと思います。

ここでは大事なのでは自らに向けられていない情報・作品を許容する成熟性ではないでしょうか。文化の画一化するのを避けるためにも想像の領域内においては多種多様な表現が容認されるべきだと思っています。

既存の作品に不満あるのであれば、新たな表現を追及するのが良いと思います。そうすることで新天地が切り開けると信じています。文化の豊かさは引き算ではなく、足し算によって成り立つものなのではないでしょうか。私はそう信じています。

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第8装甲連隊C94夏コミ情報と新刊依託販売のお知らせ

どうもです。兼光でございます。夏コミは思った以上に暑くならなくてよかったですね。7月の酷暑で色々心配になっていましたが、比較的落ち着いた気温で何よりでした。

今更ですが、夏コミに無事当選して新刊の発行に漕ぎ着けました。新刊は二つで片方はかなり濃厚な資料本の『ネウロイ大戦のインド陸軍』で、もう片方の『油照』はミニポスター集のようなA4サイズのミニポスター集でした。

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詳細についてはpixivをご参照頂けると何よりです。第8装甲連隊夏コミC94のラインアップのお知らせ

『ネウロイ大戦におけるインド陸軍』はとらのあな様から委託販売をお願いしていますから、もしご興味ありましたらどうか宜しくお願い致します!

 

 

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8th Panzer Regiment News – Aug, 2018

This past summer Comiket (C94) is the last Comiket during the Heisei period (the Emperor is abdicating in April 2019, so the Heisei will be changed to a new period name), and there was a lot of concern the July heatwave might leave many peope to suffer from heat stroke, but the thankfully, the temperature moderated somewhat. It was hot, but not at all like July. We were worried about a typhoon more than anything else, and even that was steered clear of Tokyo, so we were lucky.

The latest offering at Comic Market 94 were two books: India’s War against the Neuroi and Swelter.

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I prepared a lot of notes regarding the Indian Army, especially regarding the cavalry units as I was researching my next installment of the Lionheart Witch and this book is the culmination of those efforts. I tried my best to present a coherent description regarding how India fought against the Neuroi, with a particular emphasis on the period prior to WW1 leading up to the early years of WW2.

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The tank witches of WW2 employed land battle striker units (LBSU) is large numbers, but striker units (the mechanical contraptions worn on the legs) were matured into its current form in the late 1930s. However, this does not mean witches were not engaged in combat against the Neuroi prior to this. Witches could be divided into “broom riders” (those with the ability to easily fly in the skies) and “cavalry witches”. The vast majority of witches were land based witches, and cavalry witches were the most organized component of witch military forces. (There where multiple other types of witch formations, but that is something to be covered at a different time.)

This book tries to cover the cavalry witches in detail, with emphasis on how the mounted cavalry witches coordinated activities with other arms of the Indian Army and how the cavalry witches eventually became mechanised witch cavalry and thus evolved into armoured witch regiments.

I also covered the support elements, the Royal Indian Army Service Corps (RIASC) and the Indian Army Ordnance Corps (IAOC), as well as briefly explain how they were incorporated into the Indian Army Corps of Electrical and Mechanical Engineers (IEME). I wrote an entire sections of female Indian Army followers that helped the witches as well.

Yes, the entire book is in Japanese, but including both English and Japanese would have made the book far too thick. As it stands it is 74 pages, making it already thicker than the Osprey Elite series.

The book includes guest art by Yaruku, Erica, and Hiroshi Konishi.

You can buy this book via Toranoana from Japan. The book is a B5 size square bound publication with 74 pages including the full color covers and inner black and white pages.

Another book I did was an full color mini poster book. Swelter is a doujinshi marketplace exclusive book, and I plan on selling this publication only at doujinshi events and conventions.

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This booklet is printed The publication is center bound so it can be spread out or flipped back to the illustration you want can be displayed prominently. It’s in A4 size, 74 including the full color covers and inner black and white pages.

Artwork by Juzo Minazuki, Ein Lee, oh_you_udon, GodSh0t, Ame Aobashi, Erica, Tokinii, Marukata, deel, Yasushi Abe, and Juzo Ukatsu are included.

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I hope you might have a chance to pick up this publication!

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責任ある夢想 / Responsible Dreamers

日本は表現の自由がかなり尊重されている国です。同じ考え方の人で集まり、色々盛り上がるのは楽しいですが、ネットの上では私的空間はないと考えましょう。
Japan is country where the freedom of speech is quite wide. It’s fun for like-minded people to gather and get excited about certain subjects, but it’s important to think of online forums as places where there is little private spaces.

ネットには小声と大声がないと思った方が良いと思います。電車の中で大声で言えないことを世界発信出来る神経はわたしにはありません。
It’s probably better to think that you have no means of “whispering” something online–Everything gets amplified very quickly. I personally try to only say things to the entire world that I would not mind sharing with people when I am riding the train.

これまで日本語で発言すれば、同じ日本人にしかこの声は届かないと考えられていました。しかし現在、日本のアニメ・マンガの影響力のお陰で日本語を勉強する人はものすごく増えています。日本語から外国語へと翻訳できる人も毎年増えています。ネット上で活用できる機械翻訳も日常会話や記事などの定型文だとそれなりの活用できるまでに進化しました。あなたが発言している内容はどこの人の誰にでも届くと身構えてください。意図して私的なやりとりを個人間で、ネットは公共の場であり、誰でもあなたの発言を検証することが可能です。
In the past, it used to be thought speech conduced in Japanese could only be heard by other Japanese people. But now, thanks to the popularity of Japanese manga and anime, there are huge numbers of people who study Japanese that are not from Japan. The number of people who can translate material from Japanese to other languages are increasing as well. Machine translation tools easily available through the Internet have evolved to the point where they can easily translate ordinary conversations and more structured forms of text, such as news articles. You must remain vigilant that anything you say can be reach anyone out in the world. Unless you intentionally direct your speech to only specific individuals through private channels, the Internet is a public forum where your speech can be examined by all.

創作の領域においては極力自由で想像しましょう。その自由は日本の最大の強みであり、武器です。色々な思考実験は人類の進歩の礎です。
within the realm of fiction, you should exercise your imagination with the least amount of restriction. Freedom is one of Japan’s greatest strengths, and it is a tool that allows you to go on the offensive. Experimentation within our minds is one of the cornerstones of how humanity progressed through the ages.

でも言葉や文章にした段階で他人に向けた「暴力」になり得ます。送り手にとって冗談や創作であっても、受け手によってはそのように理解されない場合があります。送り手が受け手を意識して言葉を紡ぐことで誤解を減らすことが可能です。
But words and text can become violence directed at others. If if the speaker meant to engage in humor or fiction, the listener may not accept it as such. But, if the speaker chooses his or her words wisely, it can be possible to reduce incidences of misunderstanding from taking place.

同じ人間同士ですから創作と想像の素晴らしさを評価できるでしょう。表現において許容されるべき範囲について異論はあっても人の想像力が開拓する新しい展望と個人の人生を豊かにさせる意義については相互理解できます。生み出した作品が想像上の創作物であるならばその旨をはっきりさせましょう。そしてその作品に対して説明を求められたらしっかり説明できるようにしましょう。もし説明責任が果たせないのであれば、それは大きな問題です。あなた自身の作品やあなた自身の創作姿勢を再評価しましょう。
As we are all human beings, I am confident we can appreciate the wonders of creativity and imagination. There might be room for disagreement regarding what is permissible for what should be accepted as free speech, but we can mutually understand the importance of how human imagination can open up new vantage points and enrich the lives of individuals. If the work you created is a piece of fiction, then you should make that really clear to the audience. And if you are asked to explain aspects of your work, you should not be afraid to explain it. If you feel you cannot fulfill the responsibility as a creator to explain your own creations, then you have big problem. You need to reevaluate your own work and / or the position you are taking as a creator.

「まわりが同じような発言をしているから大丈夫」とか「似た作品がたくさんあるセーフ」とか安易に考えるのは危険です。なぜこの表現は問題がないのか、本当に問題はないのだろうか、どんな人がその表現を受け入れているのか、入れていないのか。考えることが大事です。
Thinking unassumingly along the lines of “this is fine because other people are making similar statements” and “there are other works that are just like this, so I am in the clear” are very dangerous. How do some works become problematic? How are some works accepted? Who would appreciate a particular work? Who wound’t appreciate a particular work? These are important questions to keep in mind.

自分自身で責任取れる発言や創作活動を心掛けましょう。決して軽い責任ではありませんが、その責任を全うしている人は尊敬を集めます。またこの責任を果たせるのであればどれだけ不人気な発言も作品も保護されるべきです。「批難が集中する」「人気がない」「くだらないと感じる」は作品を保護しない理由になりません。表現の自由は尊敬される、人気ある表現を守るためにあるのではなく、人が眉をひそめるような表現を守るために存在する基礎的な権利です。しかしその権利は発言者に表現を生み出した時に発生した説明責任の放棄を免責するものではないと思っています。
You should strive to say works and create works that you can take responsibility for. This is not a slight responsibility, but those who responsibility fulfill that duty will gain the respect of others. Furthermore, if you are willing to accept responsibility for engaging in speech, then that speech, no matter how unpopular, must be protected. Heavy criticism, lack of popularity, and/or the perception of worthlessness are not enough to revoke the protected status awarded to a particular work or statements by the principle of free speech. Free speech does not exist to protect works that are respected and/or popular, but instead is a fundamental right that aims to protect the very speech many find disagreeable. But I believe that right not does not absolve the responsibility of the creator from explaining himself/herself regarding the speech that the person engaged in.

「そのときそのときの面白さ」は瞬く間に変わりますが、「しっかりとした姿勢で創作し、自らの責任を果たすこと」は色あせない立派な生き様です。他人だけではなく自分自身も大事にして発言し創作しましょう。あなたがその発言や作品に自信あるのであればわたしはその作品を否定しません。応援しないかもしれません。その作品が批難されるのも致し方ないと感じることもあるでしょう。しかし作者が責任を持って発表する発言や作品、それらを表現する権利は尊重されなければなりません。
What captivates people in the heat of the moment will change in a blink of an eye, but assuming a firm position in creative endeavors and fulfilling your responsibility as a creator is an approach in life that will never go out of fashion. Try to be not only thoughtful of others, but respect yourself in how you engage in free speech and create works. If you have firm conviction in your statement and your works, then I will not reject what you are placing on the table. I may not endorse what you have created. I may feel criticism about your work is warranted. But if the author takes full responsibility for his or her work, then both the work and his or her right to share it with the world must be respected.

自分も他人も大事にして下さい。創作においてどちらかを選ぶ必要は普通ありません。人権と表現の自由は両立するというのはわたしの長年の信念であり、それが日本だけではなくて世界中で受け入れるようになることをこれからも機会あれば働きかけたいと思っています。
Strive to take care of both yourself and others. In most circumstances involving the creation of fiction, you do not have to prioritize one over the other. It is my firm belief throughout my life that human rights and freedom of expression are fully compatible with each other, and I hope many more people on this Earth will share this belief with me, and whenever the opportunity presents itself, I hope to encourage others to embrace this belief.

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8th Panzer Regiment at Doujima Singapore 2018

8th Panzer Regiment will be participating in Doujima (Doujin Market) taking place on May 5th and 6th, 2018 at Hall 406 on Level 4 of Suntec City in Singapore.

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The IOEA will be giving out free copies of Tokyo Pop Guide mini volume 2 so please drop by.

Doujin Market 2018 is held on 5-6 May (Sat & Sun) 2018. It’s opening hours are 12 am to 7 pm on Saturday and 11 am to 6 pm on Sunday.

Admission to Doujin Market is absolutely FREE, so there’s no reason not to drop by if you are available in the area.

The 8th Panzer Regiment will have multiple doujinshis and pin-ups available for sale. I will be there, so please feel free to drop by!

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8th Panzer Regiment News – April, 2018

Comic 1 * 13 took place on April 30th and I was able to publish two books.

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Seaside Safari Witches is a revised reprint of a book published in 2013. It is essentially a swimsuit special featuring characters from The Lionheart Witch series.

With over 40 pages, the book featured manga and illustrations where 4 pages are in full color. Over half the book is new content! Seaside Safari Witches showcases the talent of Hetzer Furukawa, oh_you_udon, Dan Kanemitsu, Acea4, Tokinii, Nenchi, R-Ex, Hiroshi Konishi, Erica, Kiyoshi Shimizu, Takemitsu Hasegawa, ge-b, Junichi Inoue, Shin Kyogoku, Bunshichirou Ouma, Yasuhiro Makino, Mozu, Terepin Uona, Taku Koide, Jyuzou Minazuki, Ruen Rouga, Takenoko Seijin, Yoshitoh Asari, Kouhei Takanaga, and Ohirune Card.

You can buy the revised edition of Seaside Safari Witches at Toranoana.

The book was a Comic 1 * 13 exclusive title.

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The Lionheart Witch Series Swimwear Guidebook is a 8 page pamphlet that speculates the history and culture revolving around swimwear in the world of The Lionheart Witch series.

The cover is by Jyuzou Minazuki, the rear cover is by Ashigaoreta, and the text is by Dan Kanemitsu and manga by Ogawa Kamiya with an additional illustration by Yasuhiro Makino.

 

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