Monthly Archives: November 2011

Winners and Losers in Exporting Anime and Manga

Numerous articles have been written about the depressed state of the North American market in terms of anime and manga from Japan. The situation is so bad, many Japanese publishers and companies question if it is even worth while to … Continue reading

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透明性の重要性

表現規制の区分は色々ありますが、一つの区分けが行政・司法による外部からの指示された当局検閲(regulatory censorship)と表現物の制作・公表に携わる人間が様々な理由から自主的に特定な表現を制限する自主検閲(self-censorship)の二つがあります。実は純粋な当局検閲や自主検閲は少なく、多くの規制はこの中間に当たるのが珍しくありません。 例えば都条例の有害図書規定など、予め発行者に対して特定の表現物を廻って特定の取り扱いをするように規定しています。さらに有害指定された図書の取り扱いについては「指定された本は指定されたのを明記すべし」ということ以外はあまり厳密に規定していませんが、出版界の自主的規制(内規)によって指定された本は流通にはほとんど乗らなくなります。 さらに表現者自身、様々な「タブー」に直面します。同じ国でも表現手段が違うと言及しにくくなる事柄があるのと同じように、同じメディアでも会社によっては様々な自主規制の規定があります。いちばん有名なのが「放送禁止用語」という各テレビ局の中に存在するとされる内規です。よく話題に上りますが、その内容については囁かれるだけであまり突っ込んだ議論の対象になりません。何しろ放送禁止用語という概念事態、思想統制を否定する表現の自由の重層性と差別などの人権問題を尊重すべき大手メディアの責任を天秤にかけるような危うい規定です。 このように表現規制について政策や裁判で表沙汰になる案件よりもはるかに多くの表現規制が毎日読者や視聴者から目に見えない舞台裏で進行しているのが現実です。 表現規制の怖いところは、どんな表現に対して意見が食い違うのか、誰が何を問題にしているのか、会話の話題に昇る事自体を禁じてしまう傾向があることです。上記のように当局による検閲は具体的な形で公式記録が残る事が多いですが、自主規制となると記録はほとんど残りません。当局による規制よりは自主規制の方が望ましいとは思いますが、これも問題が多々あります。 特定の内規を廻る意思決定での議論や投票などについては、追及を恐れない議論を可能にする為にもある程度まで表沙汰にしたくないのも理解できませんが、これが度を過ぎると内規の存在すら公表されないような事態になり、とても危険な状況になります。秘密裏に総て処理されてしまうと何が何でタブーになったかも議論すらなりかねないのです。 特に当局からの指示に従って行われる自主検閲、この表現もかなり矛盾していますが実際に大変な頻度で行われている事柄ですが、これについて透明性が確保されないと当局は自主規制という隠れ蓑を活用して好き勝手規制することが可能なのです。大手のメディア会社は行政とのパイプがとても重要なので、多少の無理難題でも当局から「お願い」されると鵜呑みにしてしまう可能性があります。しかし大手になればなるほど市場への影響力と表現物の土壌や枠組みへの影響力は莫大です。この為にも大手であれば大手であるほど、自主検閲のプロセスを透明化するのが望ましいのです。 ここでイギリスのネットやIT関係の専門誌、The Registerに非常に興味深い記事が掲載されました。YouTubeの大元はGoogleですので、YouTubeに掲載された特定投稿に対する国家からの削除申請はGoogleに送られます。Googleはかなり透明性を尊重している会社なので、この削除申請の内容を総て表記しています。 国家的権限を根拠にしてびっくりする程に稚拙さで自分勝手な削除申請が行われているのに唖然とさせられます。この記事では主にイギリス、ドイツ、アメリカの当局からの投稿削除申請の傾向について言及していますが、ドイツはナチス・ドイツの骨董品を含めた投稿の削除まで申請しており、さらにアメリカの地方警察当局から「警官が暴力行為を行っているのを捕らえた映像」の削除申請を行っています。様々な申請を総計すると、アメリカの行政当局(連邦・地方の行政と警察総てを含む)からの削除申請は113件であり、この中には「政府批判を含む投稿」の削除も要望しています。Googleはこのうち63%の削除申請を受諾していますが、警察の暴力行為や警察に対しての名誉毀損に相当するとされる投稿削除申請は却下し「名誉毀損」の枠組みで取り扱うと発表しています。 巨大企業であるGoogleが善良な会社であるかどうかは簡単には結論付けられません。これまでGoogle不明慮な内規基準から特定のサイトを検索しても見つけられないようにしたりしています。しかし今回のこの当局からの削除申請の透明化は賞賛に値すると思います。

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