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2002年米国最高裁「アシュクロフト対表現の自由連合」裁判判決文和訳

もうすでに20年前の判決文です。しかしながらこれからも色々参考になるところがが多いと思います。 2002年のアシュクロフト対表現の自由連合裁判は色々な影響を残しましたが、実在しない未成年に対して実在する未成年と同じ保護を与えるのは表現の自由を歪めるという判断は画期的であり、なおかつ内心の自由なる古い権利を再確認する重要な判決だったと今なお思っています。 この翻訳は弁護士の山口貴士、兼光ダニエル真、enart(敬称略順不同)による共同作業でした。 原文はこちらで確認できます。 裁判については「アシュクロフト対表現の自由連合」で検索してください。 米合衆国連邦最高裁判所No.00 -795ジョン・D・アッシュクロフト司法長官およびその他の申立て人 対 表現の自由連合およびその外の者 2002年4月16日 法廷意見書 ケネディ判事は判決理由を申し渡した。  我々はこの訴訟において、1996年の児童ポルノ防止法(CPPA、合衆国法典タイトル18の2251条以下参照)が表現の自由を奪うものであるかを検討する。CPPAは、未成年者を描写しているように見えるが実在の児童(child)を使用せずに製作された性的に露骨な肖像(image)にまで、連邦法で禁止される児童ポルノの範囲を拡大している。法令は、特定の条件のもとにおいて、これら、未成年者のように見える成人を使用したり、コンピュータ画像処理技術(computer imaging)を使用したりして作られた肖像についても、その所持や頒布を禁じている。議会によれば、新しい技術は、実在しない児童の写実的(realistic)な肖像を作ることを可能としている。議会の答申、合衆国法典タイトル18の2251条に続く覚書参照。  Ferber判決(New York対 Ferber、458 U.S. 747頁 、1982年)は、児童を児童ポルノ製作過程での搾取から守るという国家の利益(公共の福祉)のため、他の性的に露骨な表現と児童ポルノとを区別したものであるが、実在の児童を描いていない児童ポルノを禁止することによって、CPPAはFerber判決が児童ポルノの規制を合憲とした判断の射程範囲を逸脱するものである。同上758頁参照。  一般論として、ポルノは猥褻な場合に限って禁止することが許されるが、Ferber判決は、未成年者が登場するポルノはその肖像についてMiller判決(Miller 対 California、413 U.S. 15頁、1973年)で定義される猥褻の基準への抵触を問題とすることなく、法律で禁止することを肯定している。Ferberは次のように認めている。「Millerの基準は、猥褻であるとして禁止されうるもののあらゆる一般的定義と同様に、児童の性的搾取を促進する者を訴追する国家の特別かつ切実な利益を反映しない。(458 U.S. 761頁)」  我々は次の問題について考証する機会が無かったが、性的行為を行う者の外見上の年齢は、その性的な描写が社会規範に反するかということと関係していると見なして良いと想定する。性的に露骨な行為を行う幼い児童の画像(picture)が猥褻とされるかも知れないのに対し、同様の行為をしていても、それが成人または年長の青少年のものである場合には猥褻とはされないかもしれないのである。しかしながら、CPPAは猥褻な表現を対象とするものではない。議会は、合衆国法典タイトル18の第1460条から1466条によって猥褻表現を禁止している。Ferber判決において問題とされた立法と同様に、CPPAは猥褻の範疇に属さない表現を規制しようとしており、またMillerの基準に適合しようとはしていない。例えば、CPPAによる規制は、例えそれらが充分な社会的価値を持っていたとしても、映画のような視覚的表現にも及ぼされる。  それゆえ、解決されるべき主要な問題は、Miller判決の基準で猥褻と判断されるものでもなく、またFerber判決が規制を合憲とした児童ポルノでもない表現の世界を禁止しているCPPAの合憲性である。 1 1996年以前に、議会は児童ポルノをFerber判決で論じられている種類の描写、即ち実在する未成年者を使用して作られた肖像として定義していた(合衆国法典タイトル18の2252条、1994年版)。CPPAは合衆国法典タイトル18の2256条(8)(A)による禁止を維持しつつ、禁止されるべき表現の範疇として3つを加えている。その3つのうち、第1の2256条(8)(B)と第3の2256条(8)(D)について、この訴訟において合憲性が争われた。2256条(8)(B)は、「性的に露骨な行為を行う未成年者の、またはそのように見える」、「全ての写真、映画、ビデオ、絵(picture)、コンピュータの若しくはコンピュータによって作成された肖像又は絵を含む全ての視覚的描写」を禁止している。「全ての視覚的描写」に対する禁止は、どのようにしてその肖像が作られたかということに全く左右されない。この条項は、「バーチャル児童ポルノ」と時に呼ばれる範囲の描写を禁止しており、これはコンピュータで作成された肖像を含むものである。在来の方法で作られた肖像についても同様で、例えば、法令を文字どおりに読むと、「未成年者が性的に露骨な行為を行うように見える絵」である古代神話の一場面を描いたルネッサンス期の絵画(painting)までもが規制の対象に含まれる。また、CPPAは、例え子役を使って撮影されていなくとも、青年の役者が「実際のまたは擬似の(中略)性交(2256条(2))」行う未成年者に「見える」と陪審員が認定すれば、ハリウッド映画も禁止の対象とする。  これらの肖像は、その製作の過程において児童に被害を与えないどころか、そもそも児童が製作の過程に関与していない。しかし、議会はそれらの肖像がより直接的でない他の方法で児童を脅かすとした。小児性愛者達は、児童が性的行為に加わるように仕向けるために、それらの素材を使用するかもしれない。「成人との性的行為や、性的なきわどい写真のためにポーズを取ることに抵抗のある児童も、他の児童がそのような行為に参加して『楽しんでいる』描写を見せられることで、時に納得させられる場合がある。(議会の答申、合衆国法典タイトル18の2251条に続く覚書(3)参照)。さらに、小児性愛者はポルノ肖像によって「自身の性的欲求をそそられ」、「その結果として児童ポルノの製作と配布、そして実在の児童の性的虐待と搾取を増大させる」かもしれない。同覚書(4)、(10)(B)。 これらの理論的根拠の下では、被害は肖像の製作の方法からではなく、肖像の内容から生じるものとされる。それに加えて、議会はコンピュータで作成された肖像によって生じる別の問題を指摘した。これらの存在は実在の児童を使用しているポルノ業者を訴追することを難しくする。同覚書(6)(A)参照。議会は、画像処理技術が進めば、ある絵が実在の児童を使用して生産されたということを証明することがより難しくなるとしている。実在の未成年者を使用した児童ポルノを所持している被告が訴追を免れないようにするために、議会はバーチャル児童ポルノにまで禁止の範囲を広げた。  2256条(8)(C)は、バーチャルな肖像を作成するためのより一般的で程度の低い技術的手法を禁じている。この手法はコンピュータ・モーフィング(訳注:コラージュ)として知られる。ポルノ製作者達は、自ら肖像を作るよりむしろ、実在する児童の無垢な画像を、その児童が性的行為を行っているように見えるように改変することがある。モーフィングされた肖像はバーチャル児童ポルノの定義の範囲内に入ると言ってよいのであるが、実在する児童の人権と結びついており、その意味においてFerberの判決における肖像により近い。被上告人らはこの条項については違憲性を主張しておらず、我々もこの点については判断をしない。  被上告人らは2256条(8)(D)の違憲性を主張している。「のように見える」という条項の文のように、この条項の適用される範囲は極めて広い。2256条(8)(D)は児童ポルノを、「性的に露骨な行為を行う未成年」を描いている「との印象を伝えるような方法で広告、宣伝、上演、描写または頒布」された、あらゆる性的に露骨な肖像を含むと定義している。ある委員会報告では、この条項は、児童ポルノとして触れ込みをされた性的に露骨な肖像に向けられているとされている。上院報告.No.104-358、22頁(1996年)参照(この条項は、児童ポルノ製作者と小児性愛者が、児童ポルノとして触れ込みをされる露骨に性的な肖像の製作または頒布を通じ、児童の性や性的活動への好色的興味につけ込むことを妨げている)。しかし、この法令は触れ込み行為に関係していない所持者ですら罰するものであり、適用範囲はそのようには限定されていない。即ち、一度ある作品に対し児童ポルノというレッテルが貼られると、別の所持者の手に渡った場合にも表現自体に児童ポルノであるという属性が残り、例えその他の点ではいかがわしくない場合においてすら、その所持は違法となる。 被上告人である表現の自由連合その他は、CPPAがそのメンバーの活動を脅かすのを恐れ、California北部を管轄する連邦地方裁判所に提訴した。成人娯楽産業のCalifornia同業者組合である連合は次のように申し立てた。即ち、そのメンバーは、自身の性的に露骨な作品に未成年者を使用していないが、その素材のあるものがCPPAの拡大された児童ポルノの定義に含まれるかも知れないと信じている、と言うのである。他の被上告人は、ヌーディストの生活様式を擁護する本の発行者であるBold Type社、裸体画家であるJim Gingerich、官能的(erotic)肖像を専門としている写真家のRon Raffaelliである。被上告人達は、「のように見える」と「印象を与える」という規定が過度に広汎かつ曖昧であり、修正第1条による保護を受ける作品の製作を萎縮させると主張した。連邦地方裁判所はこれを認めず、政府に有利な略式判決を下した。裁判所は、「『ロミオとジュリエット』のような性的作品のいかなる改作も『禁制品』として扱われるということは『殆どありえそうもない』という理由で、規制範囲が過度に広汎であるが故に違憲無効であるとの主張を退けた。 App. to Pet. for Cert.62a-63a. … Continue reading

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『デウス・エクス・アートマキナ』:作画AIによる日本オタク界への大局的影響を考える

画像:2022年10月の段階で三つの作画AIに「女の子、キツネ耳、白耳、白尻尾、ぴっちりボディスーツ、だぼだぼジャケット、秋葉原、夜の街、雨、路面に反射」などと入力した出力した結果。絵柄は指定しておらずそれぞれの作画AIのデフォルトスタイルである。 ■今回の騒動の背景を少々…… 作画AIが及ぼす影響について日本のクリエーターや受け手側の間でかなり憂慮する声が広がっています。この10年、機械学習の躍進とそれが社会に及ぼした影響はすさまじいの一言としか言いようがないと思います。機械翻訳の質が飛躍的に向上したことによって一般的な会話であれば機械によってその内容が判別され、多言語へと置き換えることが可能となったことに目を見張らせた人は少なくないでしょう。AI——人工知能は一つの流行り文句となりエアコンの設定温度から脱税行為を見つける仕組みにまで関連付けられるようになっています。絵の世界においても2000年以前からユーザーの描く線を補正し、アニメーションをより滑らかにする機能で貢献してきました。 しかしさすがに誰もAIアルゴリズムの向上で人が書いたイラストを再現できるとは予想できなかったでしょう。 コンピューターがチェスで人間より優れるようになるにはかなりの年月が掛かりました。しかし2022年の夏の数か月の間でコンピューターが作成するイラストの完成度は目覚ましい速度で成熟を推し進め、夏が終わることには作品によっては人が描いたのかAIが描いたのかを訓練された絵描きであっても見分けしにくい作品がどんどん増えています。 2022年7月、Midjourneyがかなり高度なイラストをテキスト入力された内容に合わせて作成できるということでネットで話題が沸騰しました。これまでも画像を作成できるAIシステムはありましたが、Midjourneyは西洋絵画などを軸足にして画像を出力させたのが大きな話題を呼びました。ユーザーは様々な描写内容をテキストで入力するとAIがその内容に合わせてなるべく忠実な画像を出力をします。Stable Diffusionがこれに隋髄しますが、こちらはオープンソースということもあり費用を払わずいくらでも画像を作成できるということが強みを発揮しました。Midjourneyに比べるとStable Diffusionの作成する画像にはややたどたどしい部分がありますが、的確なテキスト入力と細かい調整を繰り返せば目を奪われるような美しい絵を数分で作成することが可能だったのです。人間が同じ絵を描こうとすれば数日かかります。 ネット上のクリエーターのみならず多くの人々を驚かせたのがMidjourney作成イラストがアメリカ合衆国コロラド州のステートフェアーで佳作として賞を受賞した事件です。投稿者は色々な微調整や細かい仕上げ処理が施されたイラストであればAI作画であってもそれは芸術的な試みとして認知されるべきだと訴えましたが、異論も続出します。反論としてはその絵は作画AIが活用するアルゴリズムが可能としたものであり、AIが活用した膨大な量の参考資料がなければ設立しないというのがあります。 コロラド州でAIによって作成された絵が人間が作った絵よりも高い評価を得て賞を獲得したことでAIが人間のクリエーターを置き換えること可能性がより現実味を帯びます。しかしこの危機感は主に西欧の芸術絵画を描く画家やコンセプトアートを生み出すクリエーターや写実的なイラストに携わる方々に限定されていました。この時点で多くの日本のクリエーターによって作画AIを背景の作成や色彩確認・調整の道具としては便利だがキャラクター自体についてはまだまだ人間の活躍する領域にとどまっているように思えました。 ■NovelAIというバケモノ しかしこの見込みは2022年10月初頭にNovelAIがあっけなく打ち壊してしまいました。日本のアニメ・マンガ画風でキャラクターを説得力ある形で描けるようになったのです。NovelAIは取り扱いが楽で高品質のアニメ・マンガ画風のキャラクターを何枚も即座に作成することできます。NovelAIはStable Diffusionをカスタム化したAIで予め日本アニメ・マンガキャラを作成することを想定し、Danbooruという主に世界中のユーザーによって違法アップロードされた日本アニメ・マンガ画像で構成されたまとめサイトの膨大な画像データを参考にするよう設計されていました。Danbooruはかなり前から稼働している画像アーカイブでユーザーによる非常にきめ細かいタグ付け(黒髪、褐色、巨乳、太い眉毛、八重歯、メガネ、セーラー服、夜景、夏、プールなど)が可能となっているので画像のデータセットとしては理想的です。 NovelAIを活用すればユーザーは簡単な指示をいくつか繰り出すだけで何十枚ものイラストを瞬く間に作成することができ、それらの画像の所有権はユーザーものとされていました。出力された画像はすべて出来良いと言えませんが、中には人の手で書いたイラストと並べてもそん色のないのも生み出せます。 上手く調整すればNovelAIは既存の絵描きさんの絵柄を再現することができます。指定された絵描きの絵柄で特定のキャラを任意の状況で描くことが可能なのです。出力結果には良し悪しはありますが、時には流し見ではAIとはとても思えないほど良い物を作成できます。 ■作画AIの長所 まず最初にここで言う作画AIとは学び、考え、創作する力があるコンピューターの話をしているわけではありません。現在においてAIとはプログラマによって生み出された複雑なアルゴリズムを用いた機械学習システムであり、そのシステムはユーザーによって操作されます。この他にもこのような処理を模したソフトウェアの機能もAIと俗称されます。機械学習の内容は人によって作り出され、そのデータ処理は人が指定したパラメーターを元に進められます。SF作品に登場するAIとは異なり、今現在のAIには意識はなく高等生物には必要不可欠とされている無制限連想学習(unlimited associative learning)という生物が感じ取った刺激を記憶・整理する手法を備えていません。 作画AIが人間を置き換えることは不可能です。人が違う人を置き換えることができない以上、AIがそれを成し遂げるとは到底思えません。(少なくとも人類が人間を完全に複製する手段を確立するまでは無理でしょうし、そもそも人間を構成する体と心についての理解はかなり危ういところが多いのが現状です。) 作画AIは参考資料に既存の作品に大きく依存しており、ユーザーが的確なイメージを思い描けないと洗練された出力を確立することは難しいです。題材によって共通性の高いパターンを把握し、絵をそれら要素へと解体し再構築します。この作業が実に滑らかに執り行われているのには驚かされますが、コンピューターは新しいアイディアを生み出すことはできません。 しかし「無限の猿定理」(多くのサルにタイプライターを与えて無限の時間を与えランダムにキーを叩けばやがて文学作品が生まれる可能性がある)は作画AIにおいて有効であると言えるでしょう。ユーザーが膨大な数の絵を出力させることが容易であり、なおかつ人間は混沌や自然の中でパターンや記号・意味・特徴を見出しそれに意味を与える力(例としては変哲のない木目の中で人の顔を見出す傾向)を授かっているのでやがて作画AIによって生み出された作品が本当に革新的な芸術作品を生み出すきっかけになる可能性は十分あるでしょう。 機械が生み出した「新しいコンテンツ」を人が解析し、楽しむこと自体はそれほど新しい現象ではありません。人は何十年も前からコンピューターを相手にゲームを楽しんできましたし、ランダム要素を組み込みプレイヤーが楽しめるマップ作りをさせることもできます。これら自動作成マップのプログラムの精度が向上した結果、人が作ったのかコンピューターが作ったのかわかりにくいレベルまで完成度が高いこともあります。2010年代中盤から機械翻訳の質はかなり向上しただけではなくて、同年代末からユーザー対話式物語を紡ぐ能力もかなり躍進しています。 しかし作画AIとこれまでのAIと大きく違うことは出力しているのが画像だということです。この場合、コンピューターは読み解くのが必要な文章を作成しているのではなく、即座に判別することができる画像です。人は文章を読み、その内容を解きほぐす必要があります。どの出力例がより良いのかを確認するために膨大な量の文章を読むのはほとんどの人にとって苦痛です。しかし作画AIの出力であれば即座に気に入るか否かを判別できます。正確性は低くとも人はおおよそ文章を読むのより絵を見て判断する速度が速いです。ユーザーはそのコンピューターが生んだものが適切なのかどうかを判断する時間が短くて済むということでこれまで大量に生み出されてきたAI出力データと根本的に違うのです。 ■作画AIに対するクリエーターの反応 作画AIが登場してまだ時間が短いのでこれらが人間の想像力やクリエーターのコミュニティーに対して与える影響について予想することはまだ難しいでしょう。 今後しばらくはAI作画を廻って盗作行為である否か、創作性を発揮しているか、想像とは何を意味するのか、クリエーターへの配慮や倫理的待遇などが活発に議論されるでしょう。日本のクリエーターの中では自らの作品を学習対象となるデータ集積に一部ならないように求めています。しかし米国においては現段階では著作権法の中のフェアユース事項のもとで機械学習は合法とされており、日本においては2018年の著作権法の改正で既存の著作物を機械学習対象として容認するのが加えられています。 たくさんのクリエーターが画像まとめサイトして機能しているDanbooruから自らの作品が取り除かれることを要求されていますが、既にこのサイトは丸々アーカイブされており、まるまるダウンロードすることが可能となっています。さらにプログラマーによって画像内容を区分するためにタグ作業を自動化したプログラムも作成されています。例えオンライン上のDanbooruが空っぽになったとしても画像集積サイトは他にもたくさんあり、作画AIにとって貴重なデータ集の提供先が複数あるのが現状なので、データの集積を防ぐのは現時点では非現実的だと言わざるを得ないでしょう。 たくさんの方々の創意工夫が結実して生まれた過去のたくさんの作品に依存しており、多くの努力の成果にただ乗りしているとして作画AIに眉をひそめる人は多いです。品がないかもしれませんが、ほぼ確実に合法です。もしコンピューターが原典とは明らかに違う作品を翻案することができたのであれば、それは人が行うことと同じことです。論理的に考えても人がやって合法なことをコンピューターに委任した場合は合法であるべきです。問題は手段ではなく、簡易性と規模、そして正確性です。 ■作画AIの合法性と倫理性について 既にふれましたが当人の関与ないままでその人の絵柄をまねて絵を生み出すことができます。原則論として著作権は「作風」を保護対象としていません。もし私がサルバトーレ・ダリの絵柄で月面着陸を描いたとしてもその作品は私のモノと認められ、著作権の保護対象となるでしょう。他人の創作物を真似るのは才能を発達させる大事な過程であり、人類が創作行為を始めた時から行われたことです。我々は他人の作品を真似り、再現し、学ぶことでやがて自らの作風を確立します。クリエーターの世界は人が自らの創作を切磋琢磨させ、やがて独立して自らの作品を生み出せる作り手になることを想定しています。少なくともリミックスや模倣、再現においてその個人の創意工夫がどこかで織り交ぜられると仮定します。人は他人が作ったものをそのまま全く同じに作ることはできませんが、コンピューターはできます。 またコンピューターが他人の絵柄で大量の作品を生み出せるというのは色々な問題を発生させる可能性が決して小さくありません。もし作画AIが私の絵柄をそっくりそのまま再現し、受け手側も作ったのが本人なのかコンピューターなのかまったく判別できないほど精密であり、なおかつその私の絵柄で描かれた真贋性が判別できない作品が大量に生み出され、私本人の作品が受け手側の目に届かないほど脇に追いやられた場合、私には不正競争で訴え出る権利はあるのでしょうか?もしくは私の絵柄そっくりそのままで私の政治信条とは異なる政治的発言を繰り返した場合はどうなるでしょううか?フェアユースは創作行為や表現の機会においてある程度の平等性を想定していますが、AI作画はこの想定を容易に打ち壊すかもしれません。 芸術の世界において贋作の歴史はかなりさかのぼりますが、作画AIが作家の生活を脅かしかねない側面についてはディープフェイクや名誉棄損の枠組みで考える必要があるかもしれません。現時点で今後どうなるかは予想しづらいですが、しかしこれまで成り立っていた創作行為の前提条件がぐらついているのは否めない事実だと思います。 例えば創作途中の画像をコピペしてそのまま本人が絵を完成させる前に他人が絵を完成させることが大変容易になってしまいました。他人の創作物を拝借し、その貢献度合いを隠ぺいすることも可能です。クリエーターはその作風が常に進化するもので、長い年月をかけて大きく変化することは珍しくありません。そこでAIに古い絵柄とキャラを学習させ、20年前の作風そっくりで新作を生むことが可能です。例え何らかの手段を用いて収益化を防いだとしても、本人からすれば古い絵柄の「新しい」作品がコミュニティーの中で溢れるのを喜ばしいとは思わないかもしれません。 AI作成画像はこれまで遭遇したことないような倫理的な課題を提示しており、そのために作画AIによって生み出された作品を忌避する流れも一部のコミュニティーで発生しています。 キャラクターや作品の版権元がネット上で投稿されたファンアートを広報活動の一環として活用することは珍しくなく、これを円滑に行うためにTwitterで活用できるハッシュタグを準備し、ファンがそのハッシュタグをつけて投稿した際には版権元が活用することを容認したとするようなシステムを運用している例もあります。もちろんこれは投稿者が不正を行っていないことを前提としている性善説で成り立っているシステムです。作画AIによって生み出されたイラストに創作性があるのか否かについてまだ判断がしにくいのが理由であるためか、複数のVtuberはAI作成画像を投稿する際には作画AIを活用したことを明記するかまたは公式ハッシュタグをつけて投稿するのを遠慮するように要望し始めています。 また複数の画像掲載プラットフォームやコミッション(有償画像発注)仲介サービスや市場において作画AIの活用を制限したり、禁止するケースも始まっています。規制の理由は作画AIの出力した画像の創作的所有権にめぐる議論がまだ継続しているだけに留まらず、作画AIを活用すれば短期間で膨大な数の作品を生み出し、人間の創作ペースを簡単に上回ることができるというところがポイントでしょう。作画AIの生産性とこれが示唆する経済的な影響は広範囲にわたると思いますが、これについてはまた後程触れます。 ■作画AIは単なる道具か?道具であり道具ではない側面 しかしこれ以上進める前に作画AIが生み出した絵とこれまで絵を見分けるのが意外と難しい点について言及させてください。ユーザーが入力する文章に支持されて作画AIが生み出す画像は特定のアルゴリズムに依存していますから、AIが出力例を解析してAI作成において特徴的な傾向が含まれているどうかを理論上では確認することができます。これはある程度までは有効性でしょうが、作画AIが生み出して絵に人が手を加えることでその本性を誤魔化すことは難しくありません。 さらに複数のクリエーターが作画AIを活用して自らの作品の品質向上の手段として関心を露にさせています。例えばマンガは主に画面手前のキャラクターを中心に展開しますが、背景に人物がいるのが重要な場合があります。マンガ家がアシスタントを雇う余裕があれば背景に適当な人物を描いてもらうことができます。マンガの物語において根幹をなしているのがコマ割りとストーリーの流れを作る作業ですが、背景や様々な画像要素の処理は物語作りから必要不可欠ではないかもしれませんが必要な作業です。マンガはかなり単調な作業が多いです。もしマンガ家がアシスタントを雇う余裕がなく、時間的な余裕もないのであれば著作権フリーの画像集や素材集を活用するかもしれません。それではこの作業をAI任せにしても物語作りに大きな支障をきたすでしょうか。現実には多くの芸術絵画は卓越した画家の指導の下で多くの弟子と一緒に協力して生み出されてきました。そのよう生み出されたから言ってその作品の価値は下がるでしょうか。 … Continue reading

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Deus ex Art Machina – AI Art and its Wide-scale Implications on Japanese Otaku Art

The three images were made using three AI art generation programs in October, 2022 using prompts such as “beautiful girl, akihabara, night, fox ears, fox tail, white hair, smartphone, black bodysuit, tight bodysuit, baggy jacket, cute face, cityscape, rain, reflective … Continue reading

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