第8装甲連隊:『獅子の魔女 第五巻』発行と冬コミ情報 [三日目L-35a]

なんとか間に合いました!
コミックマーケット89にて小説本編を含めた新刊が出ます。
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今回は短編二編を書きました。

『ベッカーの帰還』は「獅子の魔女」シリーズの時系列では最新話であり、結構重要なエピソードなのでご期待ください。第二部への橋渡し的展開となります。「鹵獲」ネタは史実でもかなり行われていたのでということで以前から書きたかったのです。ようやく送り出せて嬉しいです。

『パンと写真』ではこれまで漠然としか描かれていなかった「北アフリカの食生活」についてカールスラント方面を中心にかなり検証しました。沢山の本を読むとおおざっぱな共通項や同じ特定の食べ物についても兵士によっては意見が異なるのが面白いです。

両方とも水無月十三さんがいつも通りどころか更にパワフルな挿絵を頂きました。水無月さんのご協力で「獅子の魔女」がより親しみやすくなったのに本当に感謝しています。皆さんも応援してくださいね!

今回は食べ物特集となっています。兼光による調査と分析ですが、なにかの参考になれれば幸いです。

小説や記事に加えてマンガも複数掲載しております。兼光による原案をあさりよしとおさんにマンガ化して頂きました。以前の馴染の人物が登場しますよ。

表紙は台湾在住の女傑、Ein Lee(アイン・リー)さんに無理言って担当して頂きました。しかもコメントも掲載されております。ご意見いただけると恐縮です。ちゃんと本人に届けますよ。

ヴァールの斧スコップの設定はまるかたさんにお願いしているのですが、今回はご本人に描いて頂けて感無量です。前々からこんな絵を見たかったので望外の幸せです!

この他にも沢山の方々の作品やイラストを掲載しております。普段より薄めですが、カラー口絵も加えて気軽に楽しめる本にできればと祈っております。

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詳細データです:
『獅子の魔女第五巻』(短編集)
表紙:Ein Lee(アイン・リー) 裏表紙:まるかた
本編:小説・兼光ダニエル真 挿絵・水無月十三
総参加者リスト(掲載順):Junkpuyo、トキ兄、兼光ダニエル真、水無月十三、神宮小川、蒔野靖弘、こいでたく、高永浩平、TYPE.90、EU03、おひるねカード、Ein Lee、あさりよしとお(敬称略)
ページ数と判型:54ページ・B5
価格:500円(会場価格)

コミックマーケット89ではサークル「第8装甲連隊」の参加日は三日目の木曜日で、サークルスペースはL-35aです。

それではよろしくお願い致します!

追記:既刊情報

ギリギリで申し訳ありませんが、今回持ち込み予定の既刊は以下の本です。

『獅子の魔女 第三巻』 1,000円
『獅子の魔女 第四巻』 1,000円
以前は二冊同時購入でクリアファイルを進呈しておりましたが、クリアファイルの在庫がなくなりました。書籍のみとなります。
『獅子の魔女 外伝』 1,000円
今回の新刊はこの外伝の後日談です。新刊だけでも十分楽しめるように書いたつもりですが、もしお読みでなかったらこちらの外伝もお勧めです。

以上です。それでは当日お願いします!

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日本と海外からの視点の乖離:2008年ブラジル会議を検証

2015年10月26日に国連の「子どもの売買、児童売春、児童ポルノ」に関する特別報告者、マオド・ド・ブーアブキッキオ(Maud de Boer-Buquicchio)氏による「特に極端な児童ポルノ・コンテンツを扱った漫画は、禁止すべきだ」という発言は大きな話題を呼びました。しかしながら過去に遡るとこのように創作上の行為と現実社会での行為を類似物であるという主張が海外の国際会議では何ら珍しくありません。

兎角、日本のマンガ・アニメの現状から掛け離れた議論が展開されている例として、2008年にブラジルで開催された「第3回子どもと青少年の性的搾取に反対する会議」で日本のアニメ・マンガがどのような脈絡で論じられたかを検証すべきだと思います。

以下、2008年に発表されたエクパット・インターナショナルが発表した論文からの抜粋と小生による翻訳です。

原文:Child Pornography and Sexual Exploitation of Children Online – A contribution of ECPAT International to the World Congress III against Sexual Exploitation of Children and Adolescents (Rio de Janeiro, Brazil 25-28 November)
抜粋箇所:同書の17ページから20ページ
原典は同会議オフィシャルウィブサイトに掲載もその後ドメイン失効でリンク切れの模様http://www.iiicongressomundial.net/congresso/arquivos/thematic_paper_ictpsy_eng.pdf
(2015年現在リンク切れですが
“Child Pornography and Sexual Exploitation of Children Online” “2.2 virtual child pornography”
と検索すると原文が見つかる可能性があります。)

翻訳:兼光ダニエル真

2.2 ヴァーチャル[仮想]児童ポルノ

法廷における物的証拠立証問題におけるもう一つの問題は擬似([画像の]デジタル[データ]の改竄)画像及び仮想児童ポルノである。

欧州評議会の「子どもの性的搾取、性的虐待からの保護に関する条約」の中に置いて次のように規定されている――「条約当事者は第1項a.及びe.項目の中に次の形態のポルノ的作品の製造及び所持[違法化規定]の中に一部、無いし全文を含まなくてもよろしい:児童を真似た表象物や実在しない児童の写実的な画像」 [巻末訳者注釈1を参照] 。ヴァーチャル児童ポルノの問題については大まかにおいて国際的枠組みの中では取り上げられておらず、これらの作品を違法化する必要性について合意はほとんど形成していない。この問題についてインターネット[を経由する]児童ポルノと法律の関係について検証する際により踏み込んで言及する。

デジタルデータの操作された画像については、2003年にジレスピィ(i)がどの程度まで画像が操作されれば擬似画像と認められ、それを伴いイギリスやウェールズにおいて刑期が短縮される問題に焦点を当てた。米国に置いては仮想児童ポルノの合憲性については重要な問題となっている。2002年のAshcroft対Free Speech Coalitionの判決において最高裁判所の過半数は実在しない或いは特定のできない児童を活用した仮想児童ポルノを[違法化するのは]憲法に抵触するまでに規制範囲が広すぎるとして1996年の児童ポルノ防止法の一部を違憲として退けた(ii)。米国の司法は次のように発言している「仮想児童ポルノはその本質のおいて児童の性的虐待と関わらない。米国行政府は実際の児童虐待が画像によって引き起こされるとしているが、両者間の因果関係は設立し得るも絶対ではない。虐待は表現の後に確実に起きるのではなく、なんらかの犯罪行為に及ぶ可能性を孕む資質に依存する物である」。見立てによっては擬似写真が問題の認識をより困難にさせ、虐待の構図の理解を妨げるものであると言及する声もあるかもしれない。たが、虐待は個別の児童に向けたものでなければ設立しないという訳ではない。児童の性的搾取を廻る危惧はここにおいて発生するのである。児童虐待画像の配布と所持を廻るほとんどの立法は、自意識持たぬ被害者に害悪が及ぶ事実に基いており、キング(iii)が指摘するように流布される虐待画像の増加によって児童が虐待の対象として見立てられる可能性が高まるかもしれない。

2003年、テイラーとクエール(iv)は以下のように書いている――「擬似写真[実在しない児童を写実的に表した画像]とは構築された画像であり、非常に精巧な技術力を運用して巧妙に制作された物が多く、デジタル再構築技術を活用し、実在しない人物や実際には発生しなかった出来事を捉えた写真ではなく画像を創造する事である。即ち女性の身体の頭部に子供の頭の画像が当てはめられ、身体の特徴が子供らしいように(乳房が縮小、または削除されたり、陰毛の除去など)操作されるのである。」数年前までならばこのような作品を作る技術的敷居が高かったが、今日ではそうなくなっている。Adobe社のPhotoshop[2]らの台頭により、ほとんどの誰もが複雑なデジタル操作を駆使した画像を作成できるように至っている。コンピューター補助を伴ったアニメーションや3DCGがより簡単且つ誰にも手が届きやすいようになれば、コンピューター画像によってのみ構築された動きを伴う児童ポルノ[偶像児童ポルノ的アニメーション]が増加するという予見は現実となったが、この展開がこれらの画像の配給の広がりにどのような影響を与えたかははっきりしない。

これらの画像を制作している筆頭に日本があり[巻末訳者補足を参照]、同国は巨大なマンガとその他のアニメーションの[形態を活用し作品の]市場があり[3]、それらが性的搾取であると信じる人間は少なくない。2008年に英国の新聞、ガーディアンに掲載された記事が示唆するに、日本の5000億円漫画市場の大きなの割合を性的露骨作品が占めており、それらの多くは女学生や子供っぽい大人が強姦されたりサドマゾヒズム[加虐被虐性愛]行為に耽っているものであるとしている。更にこの記事が示唆するに人気漫画ジャンル、ロリコン――日本語において「ロリータ・コンプレックス」のスラング――作品は検討中の児童ポルノ所持禁止の規制範囲には含まれないだろうとしており、その理由として「なぜならこれらを違法化することは表現の自由に抵触する可能性があり、これら作品で自らの性的欲求を発散している男性達をより甚大な性犯罪へと駆り立てるとして国会議員達は懸念している」としている。日本の警察庁のバーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会の最終報告書(v)では流通されている漫画、PCゲーム、アニメの中には18歳未満のみならず小学生年齢の児童に対する性的虐待画像を含むものがあるとしている。これらの画像の中には児童が性交しているものや複数の成人男性に輪姦されたり、暴力的や屈辱的性行為を強要されたりするものあり、また児童らがこれらの行為を楽しんでいるかのように示唆している。更に、このような画像を表紙に飾った書籍物がある。

同報告書によれば、コンピュータソフトウェア倫理機構及び日本ビデオ倫理協会ら団体によってある程度の自主規制がされているが、これは総ての商品に及んでおらず、その中には児童性的虐待描写を含むアニメ作品もある。更に憂慮すべき点としては(ほとんど規制されていない)インターネットを通してハードコピー図書[データ上のみに存在するのではない通常の印刷された図書]が販売されていると同報告書は示唆している。「2006年11月に警察庁が行なった市場調査によれば、成人向け漫画図書やその他類似商品を広範囲に取り扱っているとある有名なインターネット書籍小売サイトにおいて成人向け漫画図書9000タイトルのうち、約30%が児童性的虐待描写を含むものと推察され、小学生特有の鞄[ランドセル]などが表紙に掲載されている事から、未就学児を性行為の対象とする作品が多数市場に流れ出ていると予想できる。更には児童性的虐待を含む漫画書籍の全体規模はPCゲームやアニメ作品よりも大きいと信じられる。…また、未就学児と思われる児童を性行為対象と描写した五つの個別の漫画書籍が六つの有名なインターネット書籍小売店総てで販売されているのが今回の市場調査に於いて確認できた」。2005年に週刊文春に掲載された記事(vi)において、とあるゲーム販売店舗の店員はインタビューの中で次のように答えている――「少女を描写するゲームには二つの流れがあります――片方が純真無垢な女の子とのラブストーリーで、もう片方が非常に暴力的で、プレイヤーは女の子を性的にコントロールし、調教する物です。とある人気のゲームでは『射精ボタン』があり、これを押すとプレイヤーは女の子に精液を掛ける事が出来ます。」日本といった国でこれらが生産されているも、世界中の人々によって消費されている。2008年にバーツが書いたオーストラリア違反者についての報告(vii)によれば、捜査側は特定できる[刑事事件]50件の内、10件において発見された児童搾取物についてこと細かく説明している。とある捜査官は次のように証言している「そのコレクションのほとんどは日本からのカートーン[アニメ・漫画]画像でした。大人や他の児童と性行為に及ぶ児童を描写した非常に生々しい絵です。一部のカートーンは暴力的で、拘束されている児童や自分のおかれた境遇を嘆いているように描かれた児童もありました。カートーンの中には母親と父親、両方と近親相姦を行なっているのも含んでいました。(同報告書p.24より)」

これまでに報告された通り、日本以外においては写真を含まない児童性虐待を描写した視覚的表現物の所持を違法化する試みが各国で進められている。これについて英国では2007年4月より公式なコンソリテーション[4]期間が設けられ、同年6月に終了。この以前に内務大臣配下のインターネットから児童を守る対策本部内の刑法担当班は児童及び児童らしきキャラクターの性的虐待を露骨に描写したコンピューターによって作成されたCGI、絵画や漫画・アニメの問題について検討している。コンソリテーション報告書ではこれらの画像の作成において実在する児童に危害が及ばない事を認めつつ、技術的進歩によってこのようなものが入手しやすくなっているのを鑑み、このようなものの所持[を許容するの]は危惧に値するとしている。コンソリテーション過程におけるパブリックコメントをまとめた概略において、何がポルノ的であるかという定義付けが困難を極め、不明瞭であると答える声が多くあったのが指摘されている。また更に、「アニメーションの絵柄に於いて様々な年齢層を象徴する要素が自由に混ぜ合わせられる」点が指摘され、[登場人物の]年齢の判断が主観に基くものとなり、法律上でそれを見定めるのは不可能であると危惧する声も取り上げられている。イギリス政府はこれから法整備を進め、新たなる違反行為[を制定する規定]を計画している。擬似児童ポルノや仮想児童ポルノの違法化への反対派は、製作過程において実在する児童に危害が及んでいない以上、これらのものは児童ポルノの枠組みに含まれるべきではないと訴えている。児童の性的虐待を防止するという目的に基く歴史的背景から児童ポルノの制作が違法化されている以上、擬似画像には実際の虐待が関わっていない故、違法化されるべきではないとしている。確かにこれらの規制に異議を唱えるアメリカ自由人権協会ら団体は人々の思考はプライベートな思考であり、擬似児童ポルノの違法化は表現の自由に抵触すると訴えている(viii)。しかし2006年にオズウェルはこれに対抗する次のような重要な立論を行なっている(ix)――「仮想(ヴァ-チェル)画像の証拠的価値は実際の[出来事を捕らえた]画像とは異なるが、(それ故に[両者を廻る]警察捜査の手順と刑事追及に差異はあるが、)とある画像が特定の児童性的虐待事件に結びつける立証が可能になるまでは、インターネット上の総ての児童ポルノは現実の物と捉える事が出来る。この観点に於いて、もっとも危惧すべき懸念は画像の他人に対する影響ではなく、画像に中に含まれた[弱者強者の]力関係の内包した描写でもなく、イメージの仮想された証拠性にある(即ち、画像自体に、そして画像とは独立して成り立つ、両方の客観的現実性を引き出せる画像の能力。)仮想画像の倫理的強烈さは、自らに含まれた描写を通り越して他方の情景に訴えることの出来る能力にある[5]」(ix、p.285より)。更にオズウェルは(現実と仮想両方の)児童ポルノの所持、制作、配布は特定の児童に対する犯罪に留まらず、総ての子供に対する犯罪行為であるとしている。「それは総ての児童期に対する犯罪である。」(ix、p.252より)

仮想だろうがなかろうが、児童ポルノの所持、そして制作と配布行為は特定の児童に留まらず、総ての子供に対する犯罪行為であると我々は訴えます。

i – Gillespie, A.A. Sentences for offences involving child pornography. Criminal Law Review, 2003, 80-92
ii – Quayle, E. Internet Offending. In D.R. Laws and W. O’Donohue (Eds.), Sexual Deviance. Guilford Press. New York. 2008. pp. 439-458.
iii – King, P.J. No plaything: Ethical issues concerning child pornography. Ethic Theory Moral Practice, 11, 2008, 327-345.
iv – Taylor, M. and Quayle, E. Child Pornography: An Internet Crime. Routledge. Brighton. 2003.
v – External Experts Study Group on Protection of Children from Harmful Effects of Virtual Society. Kodomo wo Seikouito no Taisho to suru Comictoni ni tsuite (Comics containing images of sexual abuse of children). In Final Report on the Protection of Children from the Harmful Effects of Virtual Society. Saishu Hokokusho. 2006. pp. 21-26.
vi – Shukan Bunshun. Yoji Rape Bon ga Bakaure suru Saishin “Lolicon Jijyo” (Lolita: The Latest Situation – Comics with Child Rape Images on High Demand). Weekly Bunshun, 15 December 2005, p. 30.
vii – Baartz, D. Australians, the Internet and technology-enabled child sex abuse: A statistical profile. Australian Federal Police. 2008.
viii – Taylor, M. and Quayle, E. Child Pornography: An Internet Crime. Routledge. Brighton. 2003.
xi – Oswell, D. When images matter: Internet child pornography, forms of observation and an ethics of the virtual. Information, Communication and Society, 9 (2), 2006, 244-265.

訳者注釈
1 – 2007年にEU欧州評議会が締結した『子どもの性的搾取、性的虐待からの保護に関する条約』の第6章第20条において各国が違法化すべき児童性的虐待・児童ポルノを廻る行為や物品が羅列されている。第20条第3項において「児童を真似た表象物や実在しない児童の写実的な画像だけで構成されたポルノ的作品」に対して第20条第1項の中に規定された「a.児童ポルノの製造」及び「e.児童ポルノの所持」の違法化適用については各国の判断に委ねられている。

2 – 米国Adobe社の開発したコンピュータープログラム。主に写真加工を目的とした業界標準的なソフトウェア。1990年に開発、1994年にウインドウズ版登場。

3 – 作者はマンガとアニメーションの垣根を上手く把握しているとは言い難く、おそらく「漫画と漫画絵柄のアニメーションとその他に絵柄のアニメーション」と言い表そうとしていると推察される。ご存知の通り、漫画とアニメショーンは多種多様な絵柄・作風を含むメディア(表現発表手段)であり、特定の絵柄に縛れていないのだが、この作者にはマンガには特定に絵柄が筆頭にあると思われているようである。

4 - イギリスを始めとする旧連邦圏で定着している法案・政策を公的に検討協議する制度。公式な発表の後、民間などからの反応や意見(パブリックコメント)を募り、有識者を交えた研究委員会での討議を交えて協議書が準備され、政策決定に組み込まれる。

5 – 「見る者に画像が描写している情景が画像の範疇外に存在すると訴える事が出来る能力」と言い換えることが出来ると思われる。

訳者補足
– 本文に於いて「これら[存在しない児童を扱った未成年登場人物を含む擬似写真やCGアニメを駆使した児童ポルノ的作品]の画像を制作している筆頭に日本があり、同国は巨大なマンガとその他のアニメーションの市場があり、それらが性的搾取であると信じる人間は少なくない。」としているも、実際には日本で制作される成人向けアニメーション・漫画商業作品の絶対的大多数はコンピュータ3Dモデルを活用するCGに依存せず、手書作業が基礎行程にあり、「写実的」とは言い難い絵柄によって構築された作品が大多数を占めている。コンピューターを活用したデジタル画像データ操作で生み出されるコラージュ画像(通称「コラ」)はインターネット上に存在するが、それらを商業的に販売している例は日本では非常に希薄である。更に、非現実的なまでに可愛さを強調した「萌え絵柄」が全盛の今日の日本に於いて、写実的ポルノCGアニメ作品はかなりの少数派であるという分析は専門家に至らずとも、日本のアニメ・漫画の市場を見て廻ったことのある人間ならば容易に行き着く結論である。

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Celebrating 20 Years of Evangelion

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20 years ago, another world of animation opened up. I still remember watching the first episode. I remember where I was and what I was doing. That’s how amazing Eva was to me.

And it still is amazing. Both the original series as well as the new films I am blessed to be part of.

Back then I never imaged I would actually be participating in anything even remotely related to Evangelion. But here I am now, 20 years later, desperately trying to figure out how those memorable lines could be best represented in English and doing my best to meet the expectations placed upon me during the original production process.

I watch the films endlessly during production. I review the material over and over again during translation and supervision.

And each time, I notice something different. Each time, I am awed anew.

As Mr. Anno mentioned in his message, Evangelion is still a project in motion. The 20 years have been amazing and the coming conclusion of the new theatrical edition will be mind-blowing.

I think the next 20 years will be even more interesting for Evangelion.

Stick around.

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第8装甲連隊:『獅子の魔女キャラクターズガイド』発行と夏コミ情報 [三日目N-20a]

[お詫びと訂正] 新刊に参加されているもず様の名前が目次から欠落しておりました。謹んでお詫び申し上げます。尚、38ページのキールのアルファベット表記がKielとなっていますが、正しくはKeilです。奥付のロット番号も2015-0014-Aとあるべきでした。申し訳ありません。

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コミックマーケット88で新刊出ます!

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『獅子の魔女』を制作する上でかなりの量の設定を用意してきました。一部をコピー誌などで紹介させて頂きましたが、今回かなりの設定を追加して一冊にまとめました。実際にはもっとあるのですが、キュンメルらカールスラントの陸戦ウィッチだけで60ページ近くあったので、ひとまず今回はこんな感じで。

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設定を並べるだけでは楽しいとは正直わたしは思いません。キャラは動き回ってこそ華だと思います。そこで色々な方々に小生のキャラが活躍するマンガやイラスト参加をお願いしました。量は膨大で、100ページ越えの本になってしまいました。お楽しみいただけると感無量です。

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今回もまた執筆陣が20人を越える本になってしまいました:

表紙:水無月十三(彩色 日野カツヒコ)、裏表紙:サンクマ

サンクマ、兼光ダニエル真、水無月十三、米爺、VT、清水清、もず、土代昭治、紗汐冴、ダルシー研Q所、まるかた、A士、長谷川竹光、高永浩平、EXCEL、逢摩文七郎、蒔野靖弘、北かづき、久彦、神宮小川、TYPE.90、おひるねカード、あさりよしとお(掲載順、敬称略)

どうかご期待ください!

尚、第8装甲連隊はコミックマーケット88に参加します。三日目のN-20aスペースにて新刊と『獅子の魔女』の既刊を一部販売予定です。

当日、よろしくお願い致します。

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総合格闘技としての翻訳とその憂鬱

個人的にはまだまだ手探りしている気分ですが、25年も翻訳稼業を続けているとアドバイスを求められる事があります。例えば若い学生さんから「翻訳家になるにはどんな講義を受けた方が良いですか?」と尋ねられます。

作品を生み出した言語圏を理解する事は大事ですが、実はそれは始まりでしかありません。

その作品を生み出した文化、社会、歴史を知らないと作中の記述やネタに気付かないこと発生します。しかし実際にはこれでもまだまだ不充分で、作品の演出論やその作品がどのような背景から生み出されたかを把握しないと原作を読んだ人がそれをどう受け止めたかを理解出来ません。
作品を生んだ言語を知り、作者が生まれ育った世界を知り、その作品を受け止めた読者の視点を知ることは大変ですが、実はこれでもまだ足りません。

翻訳とは言語の置換ではなく、文化の掛け橋だからです。

翻訳を受け止める読者の視点もとても大事だからです。そもそも外国の作品を万人向けに翻訳るのか、それとも海外文化に関心を持つ人間を念頭に翻訳すべきなのか、狙うべき市場を考える必要があります。市場は刻一刻と変化するので、昔は成功した方法論でも失敗する事があります。また、特定の市場を意識し過ぎて原作の良さを蔑ろにするような事態も時々発生します。結構地雷だらけです。

そして原作の「声」を見つけ、それをあなた自身の「声」で表現する必要があります。

恋愛物が苦手だったり科学用語が沢山ある作品は避けたいなど、翻訳者も人間ですから得手不得手があります。しかし作品の表層を見てもその作品の本質は見えない事があります。作品に接する時、最初に見えるのは取り扱われている題材ですが、実際には作品の本質は違うところにあります。黒澤映画の『羅生門』も年末放映される『忠臣蔵』も時代劇ですが、その本質は明らかに異なります。人間性を問い直す作品が得意な人もいれば、仁義や忠誠心を主題とした作品が苦手な人もいます。他者の作品の本質を知るだけではなく、自らの感受性や作品性を理解することも非常に重要です。

文学や文化論などで物語の構成やその作品の意義について考え、翻訳に接する読者に意図するメッセージを伝える能力も翻訳家には必要です。原作の方向性をきちんと把握出来なければ、自ら担当すべきかも判断出来ないですし、翻訳の方向性やどのような市場にその翻訳作品は向いているかを検討することもできません。

翻訳は基本的に個人作業ですが、色々な方々と連携することが求められます。原作者と対話したり編集者と議論したりするだけに留まることもありますが、アニメや映画など複数のメディアや広報活動を交えた展開の場合は上手い人間関係の構築も必須です。

かなりの知識や技能、そして創作の手腕も求められるのに対してその報酬はささやかな事が多いですが、「翻訳されているのは当たり前!翻訳なんて機械的な作業だろう」という考え方を持っている方々が大多数いる国もあります。まあ、ぶっちゃっけアメリカのことなんですが。

そもそも翻訳よりもリメイクについて熱心な業界関係者が多いのがアメリカです。良い日本映画を見た後に出てくる褒め言葉が「素晴らしい!ハリウッドで作り直そう」というなることが多々あります。正直、日本のアニメやマンガがアメリカで人気を博し、日本文化特有の表現や様式美に魅了されている方々がかなりの数が存在する事に今だ驚いています。他国の文化をそのまま受け入れる事がこれまで少なかったアメリカの歴史を知っている身としては俄かに信じられない状況なのです。

日本のアニメやマンガがアメリカで市民権を得ていることは事実ですが、今だ「少数派の市民権」です。ハリウッド作品やニューヨーク出版界の書物と肩を並べているというわけでありません。少なくとも2015年の現在の段階では。

日本の作品は特定の方々の間では熱狂的な人気を誇っており、ファンの方々の中には自ら日本語を勉強してそれらの作品を翻訳する方々も少なくありません。日本の作品に関心があって日本語や日本文化を勉強することは素晴らしいですし、翻訳について色々試行錯誤を重ねて切磋琢磨することは日米の文化交流に大きな貢献をしていると私は信じます。

ところが一般の読者や視聴者の間では翻訳についてあまり関心が無いために翻訳という作業手順についての付加価値はあまり認められていません。日本のアニメ作品やマンガ作品の北米版のパッケージや表紙には誰が翻訳したのか書かれていないのが普通です。その作品の解釈についての門番役であるにも関わらず、読者・視聴者の間では翻訳家の存在は希薄そのものです。

更に日本のアニメ・マンガ・ゲームの熱狂的なファンがひどい賃金でも構わないので翻訳をしたがります。また逆に公式版の翻訳では色々な制限があることから「公式翻訳には愛が無い」と自ら制作したスキャンレーション(翻訳がはめ込まれたマンガ取り込み画像)やファンサブ(字幕が追加された動画)を配布することもあります。

これは翻訳の質以前の問題で、翻訳業を営むのに大きな障害を孕む状況であることは否めない事実です。

このような翻訳の質の劣化に対して通常ならば原作の権利側、つまり日本の制作者側が監修したり指導することで対抗できそうなものですが、実際にはほとんど行われていません。大よそ二つパターンがあり、「海外については海外に任せよう」と「そもそも翻訳の質を見極める能力が無い」に大別できます。また更に作品の傾向などについて公式翻訳を担当している側から資料を求めても「作品の内包されている情報以外はありません」とこのような問い合わせを邪険にする日本の制作者もいるくらいです。

また更に海外について関心があっても言語・文化的なフォローできる人間が日本のアニメ・マンガ業界では圧倒的に足りないという問題があります。そもそも現場が薄給で耐えてる業界において銃後の守りに相当する部署に予算を振り向ける余裕などがないのが一つの現実です。

このような逆境の中で私が翻訳や作品作りに貢献し続けなんとか生活できるということは非常にありがたい限りです。しかしながら翻訳について関心が今だ根強い日本で今のところ何とか踏ん張っているという状況ですから、今後市場が縮小するのを考えると決して楽観視できません。

今だ日本では世界各国のすばらしい作品に接することが出来ますが、やがて中国語か英語でしか他国の作品を楽しめなくなる時代が来る可能性があります。一億人以上が喋る言語は世界では10言語しかありませんが、日本語はその一つであることをもっと誇りにして、外国に啓蒙する努力を今まで以上に頑張ってもらいたいものです。

質問した学生への返事に戻りますが、日本の作品は日本語だけではなく日本の歴史や価値観・美意識は繋がっています。日本の作品を海外に広める上でそう言った側面も大事にして行かなければならないと思います。

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Comcast Impass

Hello folks.
I hate to mention this on my blog, but I cannot send any replies to anyone using Comcast for their email account. If you are using Comcast’s email service, any email I send will bouce, and it doesn’t matter if I use other email clients or accounts.
It apprears that Comcast does not like IP addresses from Japan, or perhaps anyplace outside of the United States, for that matter.

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The Seduction of the Thought Police

Most aspects of what we consider “reality” are imaginary constructs built in our minds.

Since we are effectively powerless against truly random acts of violence, people strive for security and comfort in any means possible.

When a “pain-free” easy solution to a social ill is presented, and if you have little stake in the costs involved, many will accept that cost, even if it is a false security.

Regulating fiction and art is never effective, and it never addresses the causes behind violence, but it makes us feel better.

We feel we have done something, even if it is futile.

Most of us place emphasis on our emotions and sentiments that are registered in our hearts, and have difficulty heeding insights that are constructed in detached logic by our minds that are grounded in actual numbers.

Our sense of vulnerability, made raw by savage aspects of our existence on this planet, fed to us 247 through the countless LCDs surrounding us, seeks immediate addressal.

We encounter an injustice. Our peace of mind is ruptured. We desire a solution, and we will accept the prescription given, even if we do not understand it. A sense of authority and legitimacy, and the warm feeling of compassion radiated by the speaker, will be enough to turn a blind eye upon the costs invoked.

For there never is a cost free solution.

There are moments when we will feel embolden to cry foul at those who wish to silence us, but many times this is an emotional reaction to our normality of existence. By nature, humans avoid confrontation, and when speech leads to confrontation, the natural inclination is to ask the intruding speaker to be “more polite.”

But who sets the standards for politeness? It is the majority. It is authority. Most of us will support such standards as it is believed to be an extension of our own common sense. Culture is a norm that is shared by many and most believe they are encompassing. But to those who do not or cannot share those norms, they are alienating.

The true test of free speech does not arise when it protects the status quo or the norms of our existence. The true test of free speech is tested in how a society can tolerate speech that attacks the status quo and what we hold dear.

But fighting for the rights of others to be a thorn in your side is tiring and thankless. To be perfectly frank, many of us will silently hope that people raising their voices will go away, even when we agree with them.

We don’t want to see people arguing, and that is why we give so much power to the police and administrators. We want to let the experts handle all those noisy people.

We simply want to be left alone, content in our own worlds.

We allow words like “trust,” “responsiblity” and “faith” to be is abused endlessly, but we welcome such abuses because it makes the confusing world we live in seem more manageable, more concrete.

When you move away from the talking heads and the hysteria of the bold type, it becomes easier to realize the fragility of our existence and how we are residents of worlds we construct ourselves. And yet, few wish to acknowledge such evanescence.

We seek clarity, even if it blinds us. We seek security, even if enslaves us.

Thought policing never stops a person from having evil thoughts. Thought policing makes us feel better. It does not make us safer.

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