日本コンテンツと海外プラットフォーム

最近の作成AIコンテンツや物語性を含まない居心地の良いコンテンツ作りを見ていて憂慮するすることは色々ある。

ネットでただで享受できるコンテンツが爆発的に増えただけならいざ知らず、それらを配布するプラットフォームが一点集中し、興行的成功の落差が激しくなっている。これに加えて作成AIを用いることで一見精度の高そうに見える創作物を大量の生み出され、いわばダンピングが行われてしまい、人の手で創る創作活動が押されている側面は否定できないと思う。

またどんなコンテンツも大手国際プラットフォームの論理や営利主軸に左右されるような状況になっていることに対する危機感はどれだけ共有できているのだろうか。

私のような昭和45年(1970年)前後に生まれた日本人のオタクにとってちょうどマンガ・アニメ・ゲーム・模型・TV・ラジオ・小説・雑誌がかなり豊かな土壌だったように思えて仕方ない。流行り廃りはあるも、いろいろな作品が並列して存在し、国内海外の多様な作品や題材を礎にして同人誌即売会や草根のBBS、初期のWWWで色々な文化を作ることができた。いま思うと今取り沙汰されている日本のサブカルの相当な要素があの時代に爆発的に発展したと思ってる。

今も日本のサブカル文化は活発だし、新しい表現がどんどん増えている。でも当時に比べると単純な創作行為で生活を維持したり、製作コストを回収するのがかなり難しくなってしまった。20年前の雑誌とかみると信じられないほどマニアックな商業誌やソフトがあり、それこそ同人誌や同人ソフトになると当時の多様性と経済的熱量は眩暈するようなすごさがあった。繰り返すが今もその流れは途切れていない。YouTubeやニコニコ動画でも熱心に続けている人は少なくない。

しかしながら団塊ジュニアという数の論理がプラスで働き、相当活発な市場が形成・維持されていたのはないだろうか。もちろん当時でもお金を落としたくない人はそれこそ海賊版同人誌を買ったり、ネットから「割れ」(違法にアップロードされて、権利者の許可なく使用するソフトのネット用語)をダウンロードしたりしていたが、同時に正規で買い支える層がそれなりにあったので業界全体としては帳尻あわせある程度設立していたと言っても過言ではないと思っている。

しかし現在はコンテンツもどんどん細分化し、これまで有償でコンテンツをもっとも買い支える中間層が疲弊し、物語や作家性を支える意欲も購買層も減退したのではないかと錯覚することがある。皮肉なことにこれは世界最大のアニメ・マンガ・ゲームの市場である日本国内で起きてる話であり、海外の方がまだ伸びしろがあるように思える。(私個人の主観でしかないが、実際に翻訳の仕事をしている身としては英和よりも和英が圧倒的に多いのは事実である。)

理由は簡単で人口動向と経済的に日本が伸び悩んでいる一方で、海外では日本コンテンツを支える人間が増え、さらに経済的にも日本よりもやや上向いているのが大きな要因ではないだろか。

1970年代と1980年代、日本は電子立国と世界中で知られて羨望の的であった。いま振り返れば実際には色々な歪な産業形態であったことは自明だが、一つ確実に言えることはIT系において主導権を失われていくことに対して危機感が足りなかったことは言える。それぞれの企業が自らの立ち位置を守るために雇用削減で就職氷河期を生み出し、円高忌避で海外に工場移転させ、その後も正規社員を増やしたくないために非正規雇用形態を促進させてしまった。

気付けば日本のIT企業は再び海外の下請けという状況へとなった側面があるのではないだろうか。がんばっている会社やプロジェクトはあるだろう。しかし独自アーキテクチャ、独自市場、独自価値観を打ち出せない業種は国際競争の前に淘汰されやすいのは否めない。

今、日本のマンガ・アニメ・ゲームなどのオタクコンテンツの市場規模は国内では伸び悩み、海外の方が伸びしろがある。しかしここでまた海外プラットフォームに依存してしまうとバブル期の日本電子産業の二の舞になりかねないように思えて怖い。現時点では魅力的なコンテンツをたくさん生み出しているのだから、それをテコにして作品発表プラットフォームや日本の創作を可能としている表現の自由をさらに推し進め、海外のクリエーターが日本で創作することがもっとも都合よいというところまでたどり着けないといけないと思っている。

日本は際限なく成長できる市場である必要はないが多種多様な創作者の揺りかごにはなれる。揺りかごで切磋琢磨し、生み出された作品を世界に発信して、それが日本を少しでも豊かにするのは決して非現実的ではないと確信している。日本に強い魅力を感じている方々がまだいる現時点おいてはこれは実現可能な活路ではないだろうか。しかしこの活路はほおっておけばやがて閉じる可能性が高いことを我々は忘れてはならないと思っている。

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