アメリカの日本アニメ・マンガファンの世代の変化

長期間アメリカで暮らしたことのある兼光ですが、わたしにとって何よりも貴重な体験一つが米国での日本のアニメの受け止められ方の変化を現場で直接観察したことです。私はガンプラブームの直後にカルフォルニアで数年間小学生生活を過ごし、中学のころにもサンフランシスコ・ベイエリアで一夏を満喫しました。そしてミネソタ大学生時代の前後、約12年間ミネソタで暮しています。

この間、アメリカに於ける日本のアニメ・マンガへの受け止められ方は大きく変わりました。パロ・アルトでガンプラが手に入らないと父に泣きつきわざわざ日本から持ち込んでもらいましたが、数年後の中学生卒業の夏休みに同じパロ・アルトに訪れるとロボテックという名の元でOEMパッケージされたマクロスなどのプラモが大量に販売されていました。大学生時代になると日本から直接新しいガンプラがパッケージも変えられずアメリカの模型店で安易に入手可能となったのです。

これは飽くまでも一例です。日本のアニメのDVDソフトやサントラCDの浸透、アニメ雑誌の変遷、現地のファンの姿勢、マンガの翻訳の傾向、色々変わりました。

この中でもアニメ・マンガファンの傾向が世代ごとにかなり異なっているのは日本からでは解りにくいと思います。私自身、アメリカのアニメ・マンガファンについて正式な調査をしたわけではありません。しかし40年以上、日米で過ごした時間から得た個人的な体験や観察してきたアニメファンを頭の中で整理しているうちにおぼろげながら世代的な違いを判別できるような気がしてきました。

かなりおおざっぱな見立てなのですが、友人知人に話すと皆それを公表しろと言われるので、ご要望にあわせて簡単に書き留めたく存じます。

大よそ北米のアニメ・マンガファンは四つの世代に区分できると兼光は考えています。

第一世代がロボテック以前に日本アニメを日本製と意識せず慣れ親しんだ世代です。40~60才の方々です。彼らにとって日本のアニメ・マンガは様々なノスタルジーと共に「面白いモノ」として捉えていると考えられます。

第二世代がロボテックなどで日本製アニメとマンガに出会い、その刺激的な内容に熱狂しそれらを能動的に布教した世代です。現時点では30~40才のこの世代にとっては日本のアニメ・マンガは刺激的な「違うモノ」として捉えていたと考えられます。

第三世代はアメリカで日本のアニメ・マンガがメジャー化し、性別・年齢・ジャンルに問わず接した方々です。1999年前後に初めて日本のアニメ・マンガに接したこの方々にとって、日本からやってきた作品群が身の回りの環境に比べて異質であるのは当たり前ですが、同時に「共有される新しいモノ」でした。日本からほぼリアルタイムで沢山の作品に接しているので、それ以前の作品群とは接点が薄いのです。この世代の年齢層を絞り込むことは非常に難しいのですが、大きな影響を与えたのは1999年前後の時点で物心ついた年齢から大学生の年齢(5~25)でしょう。中核が14歳あたりと仮定すると、2013年の段階で28才くらいです。大まかには20~30才でしょう。

そして最後の第四世代ですが、アニメ・マンガが潤沢に入手出来るのが既に当たり前の世代です。1990年代末の爆発的発展を意識していない世代であり、彼らのとって日本のアニメ・マンガというのは最初から「気軽に手に入るものモノ」であり「表現手段としては極々ありふれたモノ」です。おおよそ今の1020才がこれに相当すると言えるでしょう。

この四つの世代は年齢でも大きく異なりますが、性別も所得も地方性も価値観も大きくことなります。これらを一緒くたに纏めるのは非常に危険だと小生は思いますので、簡単にそれぞれの世代について解説したいと思います。以下の分析は飽くまでも兼光の主観の分析ですし、一般論です。本当は時間を見つけてもっと第四世代について調べたいのですが、若干の推論の元で進めさせていただきます。

第一世代は1960年代~1970年代に日本から輸入されてきた主にアニメを診て育った方々です。TVで娯楽を享受し、アメコミがまだまだ旺盛だったことに育ちました。社会的には結構広範囲であり、性別や所得・地方性には突出した傾向は確認できません。

アメリカで日本のアニメがブレイクしたのは1990年代に入ってからですが、実はアニメはそれ以前にもピンポイントでアメリカに輸入されていました。『マッハGoGoGo』、『ジャングル大帝』、『鉄人28号』、『鉄腕アトム』、『宇宙戦艦ヤマト』などがこの時期にアメリカで放映されました。

この時期にアメリカに輸入された作品群は多くの場合、主人公の名称を英語名に変更したり、発祥した日本文化の要素を削ぎ落とすことが顕著で、おおよそ多くの視聴者たちは海外の作品と言う印象が感じられないのを意図されていました。もちろん既存のディズニーやワーナー作品ではないことは一目瞭然でしたし、翻訳や吹き替えがたどたどしいことがあったりして、アメリカの作品ではないということは隠せなかったのですが、なにはともあれアメリカのTV放送の世界の中でなるべく馴染むよう導かれていました。

1980年代初頭、日本でアニメやマンガ、それにSFファン活動が活発化した際、アメリカで日本からの来訪者をSF大会などで迎い入れてくれたのはこの第一世代の方々が多かったのです。主に1950年代から1960年代生まれの方々で、比較的男性が多いですが、圧倒的に女性が少ないわけではありません。北米向けに選ばれた作品が男児向けというのが大きな理由だと思います。

やがて1980年代中盤になると第二世代が生まれます。日本でよりリアルなロボットアニメ作品が増える一方で、アメリカのカートゥーンはある種の「幼児化」が進みました。これは複数の要因が関わっているのですが、要は1970年代までは日本のアニメもアメリカのカートゥーンもパッと実はそれほど違いが際立たなかったのが、1970年代後半・1980年代前半で徹底的に大きく異なる特質が目立ちます。玩具販売目的の子供だまし的要素や教育的啓蒙志向がアメリカでは強化される一方で、日本ではより成熟した視聴者を念頭にした人間ドラマや暴力描写、シリアス路線・リアル路線が急激に進みます。

1990年代以前までは日本のアニメに対するアメリカの需要はそれほど大きくありません。TVの放送枠を安価に埋めるのに日本の番組は安価で入手出来るから活用されたのであって、「日本の作品だから欲しい」というのと根本的に違います。

1980年代に入って『ヤマト』をアメリカに輸入した方々が今度はメカが豊富で、作画も際立つ日本のロボットアニメ作品に手を出します。いわゆる超時空シリーズと言われる『マクロス』、『モスピーダ』、『サザンクロス』が編纂され、一大大河ドラマ『ロボテック』としてアメリカで放映されます。

アメリカ人視聴者たちにとって『ロボテック』は衝撃的でした。まずビジュアルがこれまで見てきた作品とは別次元にリアルであり、緻密でした。メカ設定や物語もこれまでの勧善懲悪とは大きく離れ、より成熟した観客が好みそうなドラマ要素に観客は食いつきます。またキャラクターの作画も大きくこれまでの流れと乖離しました。美少女的絵柄路線にロボテックで初めて接したと言う人が多かったのでしょう。

結果として『ロボテック』ではその作風がアメリカのその他の傾向から露骨に異なることが如実に伝わる為、「この作品は日本製だ」「日本製のアニメはすごい」と「日本製」という性質に際立つことになります。1980年代と言えば日本の経済的発展が顕著であり、消費者向け家電などでは日本製が最良であり、米国製が揶揄されることがあった時期です。「日本製」というのは大きな魅力を含んだ表現だったことは否めないと思います。

『ロボテック』の特異性に食い付き、熱心なファン活動を始めた方々が全米の大学生の間で散見できます。アメリカで「日本のアニメ」が市民権を得たわけではありません。大学生みんなが熱中した訳ではありません。しかし「日本のアニメはすごい」ということを祭るのに献身的な活動を始め、彼らの活動が全米を通してネットワーク化してゆくきっかけになりました。

これが第二世代です。主に男性で小学生から大学生まで巻き込んでいましたが、ファン活動に熱心に関わり始めたのは大学生ばかりでした。第二世代北米アニメファンはそもそもアメリカの既存の文化とは違うモノに関心が強い方々が多く、アニメと一緒に東欧の映画や地ビールを楽しむようなちょっとインテリな特徴が目立っていた印象があります。明らかにジョック(体育会系)ではなくナード(文科系)の趣味の領域でした。所得も中産階級であり、明らかに都市部の嗜みでした。

第二世代にとって幸せだったのはファン活動する敷居が非常に低くなっていたということです。家庭用ビデオデッキの浸透のおかげで日本から新しい番組を入手するのはそれほど難しくありませんでした。SF大会の文化の中でアニメの上映会をするのも容易であり、コンピューターネット(USENETや草の根BBS、それと初期のインターネット)を経由した遠距離コミュニティ作り、またPCを活用した字幕作成やDTPが以前に比べると信じられないくらい楽です。

つまり第二世代の最大の特徴は「能動的に日本のアニメ(そしてやがてマンガ)を啓蒙し、ファン活動する」のが当たり前の世代だったのです。

この世代ではファン活動に飽き足りず、商業ビジネスに乗り出す方々も出現します。AD VisionCentral Park MediaAnimeEigoのなどの会社はこの時期に生まれました。

第三世代は北米でも非常に珍しい時期に思春期を迎えました。まずインターネットを通して今までとは比べ物にもならないほど世界が広がったこと。これに先立って、世界を二分にしていた冷戦が終結し、物流と文化が世界中で結びつくグローバリゼーションが進みました。米国は昔から様々な海外の文化に影響されてきましたが、そのほとんどは欧州を震源としたものが多く、同じ英語圏の作品であっても米国の文化に合わせて翻案されるのが一般的でした。しかし『ドラゴンボール』、『セーラームーン』、『ポケモン』らの作品群はそのまま翻訳されただけでテレビで放映され、アメリカの歴史にはかつてない社会現象を巻き起こしました。

第一世代でも第二世代でも日本のアニメの作品はテレビで放映されることがありましたが、90年代以前は基本的にその数は少なく、北米の価値観にすんなり受け入れられるようにローカライズされていました。90年代以降は『ロボテック』などのようにかなり本来の作品性がかなり保持されていましたが、それでも放映点数が少ない上にその影響力は特定の客層(10~20代の男性)に固まっていました。

しかし第三世代は波状飽和攻撃ともいえるような怒涛の勢いで日本のアニメ・マンガ・ゲームに接しました。年少には『ポケモン』、男児には『ドラゴンボール』、女児には『セーラームーン』というわけです。しかもどれもこれもアメリカでは慣れ親しまれている娯楽番組に比べて大きく異なる作品性が高く評価され、絶大な人気を築き上げます。『セーラームーン』などやがてテレビ放映が打ち切られてしまいますが、長期間に渡ってその人気は維持され、ロングセラーとなって行きます。

この他にも『千と千尋の神隠し』、『攻殻機動隊』、『新世紀エヴァンゲリオン』、『トライガン』、『少女革命ウテナ』などそれぞれの作品単体でも充分インパンクとがありましたが、ここで特に重要なことはこの世代はこれらの作品群をほぼ同時に接したのです。それまで知らなかった記号や様式美、演出に基いた作品群の世界が突然目の前に広がったのです。言うなればそれまで英語しか知らなかった人間が突然新しい言語に接し、その魅力をあまつことなく享受できた瞬間でした。

第二世代がコツコツと積み重ねてきて開拓の努力が突然、実を結び爆発的な市場が出現したのです。その開拓の方向性や啓蒙の努力が一部で大きな問題を抱えており、これがやがて北米での日本マンガ・アニメ市場のバブルと冷え込みに繋がったことは重要な議題ですが、ここでは世代の傾向の議論なので割愛します。

紹介で第三世代にとって日本のアニメ・マンガは「共有される新しいモノ」と要約しました。思春期を経由して自意識が固まる中において、この世代にとってアニメ・マンガは無限の可能性を秘めた世界に見えたらしく、ファン活動もそれまでの啓蒙主体ではなく、コスプレやミュージックビデオ作りやゲームのMOD作り、そして二次創作など「その世界を満喫する」のが目立っています。消費もファン活動の重要な一翼であり、ファンイベントに於いて販売スペースであるディーラーズ・ルームが驚くほど巨大になりました。

第三世代と第四世代の区分は非常に困難です。そもそも第四世代という新しい世代がいるのではなく、インターネットの出現によってそれまで以前の世代、全てが大きく変わったという見立ても決して誤りではないと思います。しかしやはりインターネットが社会に中で広く浸透して、日本のアニメ・マンガの供給が潤沢になっている今日しか知らない世代とそれ以前ではかなりの隔たりがあると小生を感じるので、この区分を設けました。

第四世代の最大の特徴はインターネットとの付き合い方です。物心ついた頃からネット環境が当たり前であり、日本のアニメ・マンガが簡単に入手できない時代の記憶を持ちません。このような容易で円滑なネット環境は全米でも未だに完全に浸透していません。地域や所得・職業に準じてこのような環境の普遍性が上昇しますが、おおよそ2004年~2008年頃までにこのような環境の浸透が全米でより一層進んだと個人的には考えています。

この世代にとって日本のアニメ・マンガはごくありふれた物です。地元のお店に行って簡単に入手出来るものではありませんが、ネットで二・三回クリックすれば自分たちが欲しているコンテンツにアクセスが出来ます。昔からアニメ・マンガのファンを続けている人たちもまた同じように最新のコンテンツにアクセスできますが、「希少性」という価値観が異なるのだと思われいます。

テレビで「無料」で垂れ流されているコンテンツに対して希少性を感じないと人はめずらしくないでしょう。実際には広告収入などによって支えられているのであって決して無料ではありませんが、「希少性」という点からすると日本のアニメ・マンガは大きく普遍化しました。四六時中ケーブルテレビや地上波全国ネットから日本のコンテンツが放映されている訳では決してありませんが、アメリカでは市民権を得たと言っても過言ではないと思います。

第二世代と第三世代にとって日本のアニメ・マンガの世界はそれ自体珍しい存在でした。しかし第四世代にとっては決して珍しい存在ではなくなっているのです。「対価」を払うほど彼らにとって珍しいものではないのは否めない事実でしょう。つまり作品単位でしか購買意識が湧きにくいのがこの世代の特徴だと思います。ある意味これは普通の感覚です。

もちろんこれは一般論であり、第四世代以前にとっても日本マンガ・アニメの希少性が大きく下がったのは確実です。しかし「ネットのおかげで日本のアニメが売れなくなった」という単純な水掛け論よりももう少し踏み込んだ分析が必要だからこそ、世代ごとの価値観の土台と変遷を理解する必要があると思います。

かなり駆け足ではありますが、以上がアメリカの日本アニメ・ファンの傾向について私なりの分析でした。今後また必要に応じて変更したり追加したりしたいと思います。アメリカについて考えるのに少しでもお役に立てれば幸いです。

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6 Responses to アメリカの日本アニメ・マンガファンの世代の変化

  1. K. K. says:

    “SF大会などで向かい入れて” → “SF大会などで迎え入れて” のミス?
    “カートゥーンは「幼児化」進みました” → “カートゥーンは「幼児化」が進みました” のミス?
    “ロングセーラーとなって” → “ロングセラーとなって” のミス?
    以上、読んでいて気になった点です。

  2. 「TVで娯楽を教授」「その魅力をあまつことなく教授」の「教授」は両方共「享受」の誤記ではないかと。

  3. 川本 幹 says:

    興味深く拝読しました。
    10年以上前に在日外国人が「日本では大人も漫画を読んでいるのか不思議。子供のものなのに」と言っているTV番組を観たことがあります。
    このとき「大人が鑑賞するに値しうる漫画(やアニメ)があることをこのひとたちは知らないあるいは理解できないのではないか?」と当時思いました。このブログを読んで間違っていなかったようだと確信しています。

    • dankanemitsu says:

      ありがとうございます。わたしは主に日米におけるアニメ・マンガの交流について多少嗜んでおりますが、欧州は欧州でまたかなり違う流れがあるのを意識しています。マンガ・アニメを子供のものとして区分する考え方の他にも、階級社会の視点から特定のメディアや娯楽は民族や所得階級に準じて振り分けの文化があるのも重要だと思います。もちろん、これは厳密には欧州に限った話ではないのですが、アメリカのような平等性が尊ばれる社会や日本のように中産階級意識が広く浸透している社会からはこの点は見落とされがちだと思います。

While I may not be able to respond to all comments, I always welcome feedback. Thank you.

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