日本と海外からの視点の乖離:2008年ブラジル会議を検証

2015年10月26日に国連の「子どもの売買、児童売春、児童ポルノ」に関する特別報告者、マオド・ド・ブーアブキッキオ(Maud de Boer-Buquicchio)氏による「特に極端な児童ポルノ・コンテンツを扱った漫画は、禁止すべきだ」という発言は大きな話題を呼びました。しかしながら過去に遡るとこのように創作上の行為と現実社会での行為を類似物であるという主張が海外の国際会議では何ら珍しくありません。

兎角、日本のマンガ・アニメの現状から掛け離れた議論が展開されている例として、2008年にブラジルで開催された「第3回子どもと青少年の性的搾取に反対する会議」で日本のアニメ・マンガがどのような脈絡で論じられたかを検証すべきだと思います。

以下、2008年に発表されたエクパット・インターナショナルが発表した論文からの抜粋と小生による翻訳です。

原文:Child Pornography and Sexual Exploitation of Children Online – A contribution of ECPAT International to the World Congress III against Sexual Exploitation of Children and Adolescents (Rio de Janeiro, Brazil 25-28 November)
抜粋箇所:同書の17ページから20ページ
原典は同会議オフィシャルウィブサイトに掲載もその後ドメイン失効でリンク切れの模様http://www.iiicongressomundial.net/congresso/arquivos/thematic_paper_ictpsy_eng.pdf
(2015年現在リンク切れですが
“Child Pornography and Sexual Exploitation of Children Online” “2.2 virtual child pornography”
と検索すると原文が見つかる可能性があります。)

翻訳:兼光ダニエル真

2.2 ヴァーチャル[仮想]児童ポルノ

法廷における物的証拠立証問題におけるもう一つの問題は擬似([画像の]デジタル[データ]の改竄)画像及び仮想児童ポルノである。

欧州評議会の「子どもの性的搾取、性的虐待からの保護に関する条約」の中に置いて次のように規定されている――「条約当事者は第1項a.及びe.項目の中に次の形態のポルノ的作品の製造及び所持[違法化規定]の中に一部、無いし全文を含まなくてもよろしい:児童を真似た表象物や実在しない児童の写実的な画像」 [巻末訳者注釈1を参照] 。ヴァーチャル児童ポルノの問題については大まかにおいて国際的枠組みの中では取り上げられておらず、これらの作品を違法化する必要性について合意はほとんど形成していない。この問題についてインターネット[を経由する]児童ポルノと法律の関係について検証する際により踏み込んで言及する。

デジタルデータの操作された画像については、2003年にジレスピィ(i)がどの程度まで画像が操作されれば擬似画像と認められ、それを伴いイギリスやウェールズにおいて刑期が短縮される問題に焦点を当てた。米国に置いては仮想児童ポルノの合憲性については重要な問題となっている。2002年のAshcroft対Free Speech Coalitionの判決において最高裁判所の過半数は実在しない或いは特定のできない児童を活用した仮想児童ポルノを[違法化するのは]憲法に抵触するまでに規制範囲が広すぎるとして1996年の児童ポルノ防止法の一部を違憲として退けた(ii)。米国の司法は次のように発言している「仮想児童ポルノはその本質のおいて児童の性的虐待と関わらない。米国行政府は実際の児童虐待が画像によって引き起こされるとしているが、両者間の因果関係は設立し得るも絶対ではない。虐待は表現の後に確実に起きるのではなく、なんらかの犯罪行為に及ぶ可能性を孕む資質に依存する物である」。見立てによっては擬似写真が問題の認識をより困難にさせ、虐待の構図の理解を妨げるものであると言及する声もあるかもしれない。たが、虐待は個別の児童に向けたものでなければ設立しないという訳ではない。児童の性的搾取を廻る危惧はここにおいて発生するのである。児童虐待画像の配布と所持を廻るほとんどの立法は、自意識持たぬ被害者に害悪が及ぶ事実に基いており、キング(iii)が指摘するように流布される虐待画像の増加によって児童が虐待の対象として見立てられる可能性が高まるかもしれない。

2003年、テイラーとクエール(iv)は以下のように書いている――「擬似写真[実在しない児童を写実的に表した画像]とは構築された画像であり、非常に精巧な技術力を運用して巧妙に制作された物が多く、デジタル再構築技術を活用し、実在しない人物や実際には発生しなかった出来事を捉えた写真ではなく画像を創造する事である。即ち女性の身体の頭部に子供の頭の画像が当てはめられ、身体の特徴が子供らしいように(乳房が縮小、または削除されたり、陰毛の除去など)操作されるのである。」数年前までならばこのような作品を作る技術的敷居が高かったが、今日ではそうなくなっている。Adobe社のPhotoshop[2]らの台頭により、ほとんどの誰もが複雑なデジタル操作を駆使した画像を作成できるように至っている。コンピューター補助を伴ったアニメーションや3DCGがより簡単且つ誰にも手が届きやすいようになれば、コンピューター画像によってのみ構築された動きを伴う児童ポルノ[偶像児童ポルノ的アニメーション]が増加するという予見は現実となったが、この展開がこれらの画像の配給の広がりにどのような影響を与えたかははっきりしない。

これらの画像を制作している筆頭に日本があり[巻末訳者補足を参照]、同国は巨大なマンガとその他のアニメーションの[形態を活用し作品の]市場があり[3]、それらが性的搾取であると信じる人間は少なくない。2008年に英国の新聞、ガーディアンに掲載された記事が示唆するに、日本の5000億円漫画市場の大きなの割合を性的露骨作品が占めており、それらの多くは女学生や子供っぽい大人が強姦されたりサドマゾヒズム[加虐被虐性愛]行為に耽っているものであるとしている。更にこの記事が示唆するに人気漫画ジャンル、ロリコン――日本語において「ロリータ・コンプレックス」のスラング――作品は検討中の児童ポルノ所持禁止の規制範囲には含まれないだろうとしており、その理由として「なぜならこれらを違法化することは表現の自由に抵触する可能性があり、これら作品で自らの性的欲求を発散している男性達をより甚大な性犯罪へと駆り立てるとして国会議員達は懸念している」としている。日本の警察庁のバーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会の最終報告書(v)では流通されている漫画、PCゲーム、アニメの中には18歳未満のみならず小学生年齢の児童に対する性的虐待画像を含むものがあるとしている。これらの画像の中には児童が性交しているものや複数の成人男性に輪姦されたり、暴力的や屈辱的性行為を強要されたりするものあり、また児童らがこれらの行為を楽しんでいるかのように示唆している。更に、このような画像を表紙に飾った書籍物がある。

同報告書によれば、コンピュータソフトウェア倫理機構及び日本ビデオ倫理協会ら団体によってある程度の自主規制がされているが、これは総ての商品に及んでおらず、その中には児童性的虐待描写を含むアニメ作品もある。更に憂慮すべき点としては(ほとんど規制されていない)インターネットを通してハードコピー図書[データ上のみに存在するのではない通常の印刷された図書]が販売されていると同報告書は示唆している。「2006年11月に警察庁が行なった市場調査によれば、成人向け漫画図書やその他類似商品を広範囲に取り扱っているとある有名なインターネット書籍小売サイトにおいて成人向け漫画図書9000タイトルのうち、約30%が児童性的虐待描写を含むものと推察され、小学生特有の鞄[ランドセル]などが表紙に掲載されている事から、未就学児を性行為の対象とする作品が多数市場に流れ出ていると予想できる。更には児童性的虐待を含む漫画書籍の全体規模はPCゲームやアニメ作品よりも大きいと信じられる。…また、未就学児と思われる児童を性行為対象と描写した五つの個別の漫画書籍が六つの有名なインターネット書籍小売店総てで販売されているのが今回の市場調査に於いて確認できた」。2005年に週刊文春に掲載された記事(vi)において、とあるゲーム販売店舗の店員はインタビューの中で次のように答えている――「少女を描写するゲームには二つの流れがあります――片方が純真無垢な女の子とのラブストーリーで、もう片方が非常に暴力的で、プレイヤーは女の子を性的にコントロールし、調教する物です。とある人気のゲームでは『射精ボタン』があり、これを押すとプレイヤーは女の子に精液を掛ける事が出来ます。」日本といった国でこれらが生産されているも、世界中の人々によって消費されている。2008年にバーツが書いたオーストラリア違反者についての報告(vii)によれば、捜査側は特定できる[刑事事件]50件の内、10件において発見された児童搾取物についてこと細かく説明している。とある捜査官は次のように証言している「そのコレクションのほとんどは日本からのカートーン[アニメ・漫画]画像でした。大人や他の児童と性行為に及ぶ児童を描写した非常に生々しい絵です。一部のカートーンは暴力的で、拘束されている児童や自分のおかれた境遇を嘆いているように描かれた児童もありました。カートーンの中には母親と父親、両方と近親相姦を行なっているのも含んでいました。(同報告書p.24より)」

これまでに報告された通り、日本以外においては写真を含まない児童性虐待を描写した視覚的表現物の所持を違法化する試みが各国で進められている。これについて英国では2007年4月より公式なコンソリテーション[4]期間が設けられ、同年6月に終了。この以前に内務大臣配下のインターネットから児童を守る対策本部内の刑法担当班は児童及び児童らしきキャラクターの性的虐待を露骨に描写したコンピューターによって作成されたCGI、絵画や漫画・アニメの問題について検討している。コンソリテーション報告書ではこれらの画像の作成において実在する児童に危害が及ばない事を認めつつ、技術的進歩によってこのようなものが入手しやすくなっているのを鑑み、このようなものの所持[を許容するの]は危惧に値するとしている。コンソリテーション過程におけるパブリックコメントをまとめた概略において、何がポルノ的であるかという定義付けが困難を極め、不明瞭であると答える声が多くあったのが指摘されている。また更に、「アニメーションの絵柄に於いて様々な年齢層を象徴する要素が自由に混ぜ合わせられる」点が指摘され、[登場人物の]年齢の判断が主観に基くものとなり、法律上でそれを見定めるのは不可能であると危惧する声も取り上げられている。イギリス政府はこれから法整備を進め、新たなる違反行為[を制定する規定]を計画している。擬似児童ポルノや仮想児童ポルノの違法化への反対派は、製作過程において実在する児童に危害が及んでいない以上、これらのものは児童ポルノの枠組みに含まれるべきではないと訴えている。児童の性的虐待を防止するという目的に基く歴史的背景から児童ポルノの制作が違法化されている以上、擬似画像には実際の虐待が関わっていない故、違法化されるべきではないとしている。確かにこれらの規制に異議を唱えるアメリカ自由人権協会ら団体は人々の思考はプライベートな思考であり、擬似児童ポルノの違法化は表現の自由に抵触すると訴えている(viii)。しかし2006年にオズウェルはこれに対抗する次のような重要な立論を行なっている(ix)――「仮想(ヴァ-チェル)画像の証拠的価値は実際の[出来事を捕らえた]画像とは異なるが、(それ故に[両者を廻る]警察捜査の手順と刑事追及に差異はあるが、)とある画像が特定の児童性的虐待事件に結びつける立証が可能になるまでは、インターネット上の総ての児童ポルノは現実の物と捉える事が出来る。この観点に於いて、もっとも危惧すべき懸念は画像の他人に対する影響ではなく、画像に中に含まれた[弱者強者の]力関係の内包した描写でもなく、イメージの仮想された証拠性にある(即ち、画像自体に、そして画像とは独立して成り立つ、両方の客観的現実性を引き出せる画像の能力。)仮想画像の倫理的強烈さは、自らに含まれた描写を通り越して他方の情景に訴えることの出来る能力にある[5]」(ix、p.285より)。更にオズウェルは(現実と仮想両方の)児童ポルノの所持、制作、配布は特定の児童に対する犯罪に留まらず、総ての子供に対する犯罪行為であるとしている。「それは総ての児童期に対する犯罪である。」(ix、p.252より)

仮想だろうがなかろうが、児童ポルノの所持、そして制作と配布行為は特定の児童に留まらず、総ての子供に対する犯罪行為であると我々は訴えます。

i – Gillespie, A.A. Sentences for offences involving child pornography. Criminal Law Review, 2003, 80-92
ii – Quayle, E. Internet Offending. In D.R. Laws and W. O’Donohue (Eds.), Sexual Deviance. Guilford Press. New York. 2008. pp. 439-458.
iii – King, P.J. No plaything: Ethical issues concerning child pornography. Ethic Theory Moral Practice, 11, 2008, 327-345.
iv – Taylor, M. and Quayle, E. Child Pornography: An Internet Crime. Routledge. Brighton. 2003.
v – External Experts Study Group on Protection of Children from Harmful Effects of Virtual Society. Kodomo wo Seikouito no Taisho to suru Comictoni ni tsuite (Comics containing images of sexual abuse of children). In Final Report on the Protection of Children from the Harmful Effects of Virtual Society. Saishu Hokokusho. 2006. pp. 21-26.
vi – Shukan Bunshun. Yoji Rape Bon ga Bakaure suru Saishin “Lolicon Jijyo” (Lolita: The Latest Situation – Comics with Child Rape Images on High Demand). Weekly Bunshun, 15 December 2005, p. 30.
vii – Baartz, D. Australians, the Internet and technology-enabled child sex abuse: A statistical profile. Australian Federal Police. 2008.
viii – Taylor, M. and Quayle, E. Child Pornography: An Internet Crime. Routledge. Brighton. 2003.
xi – Oswell, D. When images matter: Internet child pornography, forms of observation and an ethics of the virtual. Information, Communication and Society, 9 (2), 2006, 244-265.

訳者注釈
1 – 2007年にEU欧州評議会が締結した『子どもの性的搾取、性的虐待からの保護に関する条約』の第6章第20条において各国が違法化すべき児童性的虐待・児童ポルノを廻る行為や物品が羅列されている。第20条第3項において「児童を真似た表象物や実在しない児童の写実的な画像だけで構成されたポルノ的作品」に対して第20条第1項の中に規定された「a.児童ポルノの製造」及び「e.児童ポルノの所持」の違法化適用については各国の判断に委ねられている。

2 – 米国Adobe社の開発したコンピュータープログラム。主に写真加工を目的とした業界標準的なソフトウェア。1990年に開発、1994年にウインドウズ版登場。

3 – 作者はマンガとアニメーションの垣根を上手く把握しているとは言い難く、おそらく「漫画と漫画絵柄のアニメーションとその他に絵柄のアニメーション」と言い表そうとしていると推察される。ご存知の通り、漫画とアニメショーンは多種多様な絵柄・作風を含むメディア(表現発表手段)であり、特定の絵柄に縛れていないのだが、この作者にはマンガには特定に絵柄が筆頭にあると思われているようである。

4 - イギリスを始めとする旧連邦圏で定着している法案・政策を公的に検討協議する制度。公式な発表の後、民間などからの反応や意見(パブリックコメント)を募り、有識者を交えた研究委員会での討議を交えて協議書が準備され、政策決定に組み込まれる。

5 – 「見る者に画像が描写している情景が画像の範疇外に存在すると訴える事が出来る能力」と言い換えることが出来ると思われる。

訳者補足
– 本文に於いて「これら[存在しない児童を扱った未成年登場人物を含む擬似写真やCGアニメを駆使した児童ポルノ的作品]の画像を制作している筆頭に日本があり、同国は巨大なマンガとその他のアニメーションの市場があり、それらが性的搾取であると信じる人間は少なくない。」としているも、実際には日本で制作される成人向けアニメーション・漫画商業作品の絶対的大多数はコンピュータ3Dモデルを活用するCGに依存せず、手書作業が基礎行程にあり、「写実的」とは言い難い絵柄によって構築された作品が大多数を占めている。コンピューターを活用したデジタル画像データ操作で生み出されるコラージュ画像(通称「コラ」)はインターネット上に存在するが、それらを商業的に販売している例は日本では非常に希薄である。更に、非現実的なまでに可愛さを強調した「萌え絵柄」が全盛の今日の日本に於いて、写実的ポルノCGアニメ作品はかなりの少数派であるという分析は専門家に至らずとも、日本のアニメ・漫画の市場を見て廻ったことのある人間ならば容易に行き着く結論である。

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2 Responses to 日本と海外からの視点の乖離:2008年ブラジル会議を検証

  1. Anonymous says:

    I gotta say things are not looking good at the moment for overseas people trying to defend Japan’s artistic freedom. I think I’d rather have the situation we had 5 or 10 years ago.

    There’s now a somewhat vocal contingent of young Western men defending Japanese manga and other media on some of the worst premises possible. They’re attacking feminism, and defending the right for an artist to create whatever they want as if it was the same “right” as the one that “allows” them to verbally abuse a minority through racial epithets on the streets or online.

While I may not be able to respond to all comments, I always welcome feedback. Thank you.