生き様としてのエロス(コラム再掲載)

ツイッター上で「諦めの虚構」という概念が出たので、昔小生が書いたコラムを再掲載します。2004年頃に書いたものでして、本当は色々手を加えたいのですが、とりあえずこのまま掲載します。

理想の性生活とは、どんなものでしょうか。自分の読んでいるエロマンガの内容そのままの生活を送ってみたいと思いますか? 夢の組み合わせはいくらでもあります。現実離れしている夢も、していない夢もあります。実際、日本のエロマンガが提供する「夢」の内容の多彩さは目を見張るべきものがあります。そして美少女エロマンガは、そもそもが現実の人間の様相から大きくかけ離れたマンガ絵で構成されている上に、私たちは美少女エロマンガの内容がどれだけ「現実離れ」していても、あまり違和感を覚えません。

筆者は、美少女エロマンガにおける「現実離れ」した内容は、自分の欲望に対する「あきらめの精神」が根元にあるのだと考えます。つまり「実際にこんなこと出来るわけではなく、本当に出来たとしてもかなり頭の中で思い描いている様相とは大きく異なる状況になるのはちょっと考えれば明白」ということを作者も読者も最初からわかって(あきらめて)いるのです。そして、この「あきらめの精神」が前提となっているからこそ、日本のエロマンガはこれほどまでに内容の多彩さを保ち続けられるのだと考えます。そして、このような傾向…マンガなどの架空の創作物が提供する幻想の受け取り方…は、実は日本独特のものなのです。

例えば、たくさんお金を積めば「巨乳美女に囲まれてウハウハ」というエロマンガみたいなシチュエーションは実現可能です。でもそこにはエロマンガのような献身的な可愛げある(つまりは、とことん都合の良い)お姉さまの存在などなく、金の為だけにサービスを施すという非常にシビアな現実が待っていることでしょう。当たり前です。エロマンガの世界とは違って、自分中心に世界が廻っているという訳ではないのですから。

エロマンガが「絵に描いた餅」だからこそ、その餅はより一層煌びやかになり、多種多様に変化・進化してゆき、その末でいくら現実と乖離した餅になろうとも魅力を保ち続け、それを渇望する人はなかなか減りません。「絵に描いた餅だからこそ、イイ」のです。

面白いことにこれは男性向け美少女マンガに限った話では無く、ヤオイ系の女性向けの作品でも同じことが言えます。「絵に描いた餅」に欲情するということに限ればジュネ・ヤオイに勝るものはないかもしれません。例えばボーイズラブマンガを愛好する女性読者の大半が、現実の生活ではごく平凡なヘテロセクシュアルです。同じくロリコンエロマンガを愛好する男性読者の大半は、現実世界の児童に対して性的興奮を覚える訳ではないという事実もあります。

一方で「あきらめられし欲望の世界」に留めて置くべき欲望を現実の世界に持ち込み、それを通して犯罪を犯してしまった人間に対して非常に強い憤りを感じるのはなぜでしょう。おそらくその理由の一つが「『絵に描いた餅』を食べた」ということで他のみんなが「絵に描いた餅」を楽しみにくくなった、ということでしょう。現実と接点のない「絵に描いた餅」だからこそ、どのような鬼畜な行為をも幻想として、娯楽の一種として、安心して楽しめるのです。「あきらめられし(架空の、幻想の)欲望」を現実の世界へインポートする行為は、どうしようもなく無粋な行為です。

「あきらめられし欲望の世界」の精神をよく理解していない人間からすれば、「絵に描いた餅」に欲情している人間総てが犯罪者予備軍に見えるかもしれません。が実際は、現実の性嗜好と消費する創作物の性嗜好傾向の間柄――すなわち実際の性生活と、読んでいるエロマンガの内容――は必ずしも一致するものではない…寧ろかなりの隔たりがある場合が多い…訳で、一筋縄ではありません。なおかつ、マンガなど(幻想としての)欲情の対象が現実離れすればするほど、「あきらめの精神」が強くなり、現実的性嗜好と創作物性嗜好が離れていく傾向があるのではないでしょうか。

はっきりいって美少女エロマンガを嗜む人間からすれば現実的性嗜好と創作物性嗜好が一致している方が奇特と感じます。「うわ、リアルだよ、こいつ」とか言う台詞を思わず口からこぼしてしまうのはそのせいでしょう。

しかし、太平洋の向こう側となると大きく事情がことなります。これは一般論ではありますが、往々としてアメリカでは現実的性嗜好と創作物性嗜好は一致しているのが当たり前とされています。ゲイ小説をゲイ以外が書いてはいけない、みたいな考え方もあります。

アメリカでは「絵に描いた餅」が本来ならば現実から大きく乖離しているはずなのに、現実を「絵に描いた餅」に近づけようとする面があります。わたしは何度か西海岸で開催されているケモノ好き向けイベントに行っていますが、「ケモノのコスプレしたねーちゃんのストリップ」とか「全身に色々なピアスや刺青を施した結果、リアルケモノになった男」とか「ケモノぬいぐるみ、オナホール付き」とか他では絶対見れないものを昔からたくさん見てきました。絵に描かれた内容がゲイケモノエロスの場合、十中八、九の割合で描いた本人がゲイです。

もちろんこれは一部突出した例です。しかし、現実的性嗜好と創作物性嗜好の一致の度合いにおいて日本とアメリカではかなりのひらきがあるようです。

これについてまた更に色々と考えていきたいところですが、紙面が尽きてしまいました。

 

そういえば昔ミネソタ大学で八的暁さんの作品をフロイト的文学理論の見地から分析したこともあるのですが、そこでは「現代日本社会の厳しい現実社会から逃 避する為の安全で安心できる私的虚構空間としての美少女マンガ」というよくある切り口でしたが、「美少女マンガの読者はエロ漫画の中の女性キャラに自己投 影することが多い」と分析したのは今で気に入っています。これは英語の論文のなので翻訳するのはちょっと骨折れるので今はお許しください。

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