同人誌と外国人(個人メモ)

こ れは個人メモなので、雑文のようなものです。

立場上、時折海外の方に日本の同人誌文化を説明することが多々あるのですが、日本の同人誌の概念を説明するのいつも苦労しています。

構造的な違いや歴史的な変遷を説明すれば多少 「同人誌の独自性」を理解してくれていますが、その彼らが他の外国人に説明するとどんどんずれてゆく。伝言ゲームが始まります。伝言ゲームは参加者が伝聞 されるべき情報の意図やアーキタイプ(元型)、即ち共同体で共有されている特定事象や概念を表す記号で置き換えられないと酷くなると思います。「象」とい う動物を知らない目の見えない人が触った手触りで他人に説明するような感じでしょうか。

同人誌の根源にある「少人数の同好の人間で楽しむ」=「『場』に限定された表現物とそれが許す異なる理」の基礎にある「『場に特化した価値観』が内在する出版物」のアーキタイプが私は思いつかないことを気付いたのです。

日記や仲間内のジョークとは異なり、紛いなりにも「出版物」となると広く公的に共有されるのが当たりまえと思われてしまうのです。それなりの数が複製された表現物なのに広く共有できない物って、機密文章か違法出版物になっちゃうんですよね。

しかし違う例えを使えばもう少し同人誌の原点にある「個人主体非商業興行的限定配布物」の概念を欧米人と共有できるかもしれないと思いつきました。

「プライバシー」です。

よく有名俳優や歌手など芸能人のプラバシーが暴露され、その取扱で裁判になります。公 人である芸能人のプライバシーを廻っては公的存在である芸能人の仔細について大衆が求めている情報を提供しているタブロイドと対外イメージを制御したい・ 個人的領域を守りたい芸能人の利害の衝突となる訳ですが、基本的にはどんな公人もある程度の私的領域の自己決定権は認められています。

つ まりどんな有名人もプレイベートで行っている私的行動・活動を公的な世界に持ち込まれるのを防ぐ権限がある程度まではあると認定され、一般市民の間でもそれは周知されている。

ならば有名作家も自分の作品を廻って 私的領域があると言っても別に違和感が無いのではないでしょうか。その一方で、公的な作品を廻っても私的な解釈を思い巡らせ、少数限定で共有される領域があるのも不思議ない。

つまり同人誌即売会とは個人のプラバシーを共有する場所なのかもしれません。実際その側面はあると思います。

公 的な表現物と私的な表現物の線引きが同人誌を外国人説明するのに一つのアーキタイプとして役立つかもしれないと思い、以上簡単な思考実験を行いました。 尚、実際には商業と同人の線引きが明解ではない、参加者の共通価値観の落差など例外や反論があるとは思いますが、これは飽くまでも目安です(汗

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